100の論点:85. 核兵器に依存しない安全保障政策の例として、ニュージーランドの経験について教えてください。

 ニュージーランド(以下NZ)は、第二次世界大戦後オーストラリアとともに、核超大国米国との間にアンザス同盟条約を締結し、緊密な同盟関係を維持していました。しかし、1984年に成立したロンギ労働党政権の下で、国内の反核意識の高まりを背景に厳格な非核政策を導入して同盟国核艦船の寄港拒否を宣言し、1987年には非核法を制定するなど徹底した非核政策を追求したため、米国のレーガン政権との間で「アンザス危機」と呼ばれる深刻な対立に至りました。以下、NZの経験についてアンザス危機とその後に絞って説明します。

   ロンギ政権は、対米同盟と非核政策がともに自国の安全保障の重要な要素であるとして、政権成立直後から「核抜きアンザス」の可能性を模索して米国に対し同盟関係の修正を求めましたが、米側は、非核だけの「部分的同盟」は認めないとしてNZに政策撤回を迫りました。結局、両国とも妥協せず、NZの非核政策が日本など他の重要な同盟国に「伝染」することを懸念した米国は、同国に対する安全保障義務を停止し、高官レベルの接触を禁止するなど種々の制裁措置をとりました。NZ国民の大多数は対米同盟の存続を望んでいましたが、米側の対応は大国の横暴としてNZ側のナショナリズムを刺激し、非核政策に対する国民の支持を一層高め、反核主義を国民のアイデンティティの一部として定着させていきました。

 NZは、その後、オーストラリアとの同盟関係を強化し、南太平洋諸国との地域的連帯も強める一方、国連等の場で軍縮・軍備管理の一層の推進や国連PKOへの積極的参加など、「小国の独立と自律」を維持する鍵として国連を重視し、その国連を支える「よき国際市民」として、米国の「核と安全保障の傘」に頼らない独自の安全保障の道を模索し、望ましい地域的・国際的安全保障環境の確保をめざしました。そうした新たな安全保障政策の模索の一つの帰結が、1998年の新アジェンダ連合(NAC)結成と2000年のNPT運用検討会議でのNACの一員としての核軍縮への強力な取組みで、従来の米国主導の西側路線と決別し、冷戦後の新たな戦略状況の下で国際的圧力と説得によって核保有国に核兵器の放棄を迫るというアプローチへの転換を印象付けました。

 こうしたNZの非核政策で注目される点は、それが国家による安全保障政策の一環として構想され、国家と国民の生存と安全と福祉を確保するための重要な手段として追求されてきたことです。同国の経験は、戦略環境や歴史的経験が大きく異なる日本へのそのままの適用は困難でしょうが、同国が1980年代の安全保障に関する国民的議論をへて同盟と非核の間の新たなバランスの模索に踏み出し、現在でも地域住民や市民の要望や必要とともに、国防政策や国家戦略との整合性や補完関係についても常に自覚的な問いかけが続けられている点は、示唆的といえます。(上村直樹)

 

参考文献

上村直樹「ニュージーランドの非核政策と対米同盟」山田浩・吉川元編『なぜ核はなくならないのか―核兵器と国際関係』(法律文化社、2000年)、pp.123-40.

木畑洋一「アイデンティティの模索と安全保障」山本吉宣編『アジア太平洋の安全保障とアメリカ』(彩流社、2005年)、pp.203-223.

佐島直子「冷戦の終焉と地域主義への転換―ANZUSの場合―」『国防』(1994年4月号)、 pp.85-107.

デビッド・ロンギ『非核―ニュージーランドの選択―』国際非核問題研究会訳(平和文化、1992年).