日米共同の最初の原子炉輸出例である台湾第四原発とその現状

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7月18日 パッケージ企画1鈴木真奈美「日米共同の最初の原子炉輸出例である
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日本平和学会2015年度春季研究大会

自由論題部会「日本の原発輸出計画と輸入側社会への影響――アジアの事例を中心に」

報告レジュメ

 

日米共同の最初の原子炉輸出例である台湾第四原発とその現状

 

明治大学

大学院教養デザイン研究科

鈴木 真奈美

 

キーワード:原子力輸出入、「アトムズ・フォア・ピース」、台湾第四原発、市民社会、福島原発事故 

 

1.はじめに

本報告は原子力プラント輸出/輸入(以下、原子力輸出入)をめぐる国際関係を構造的に分析し、その上で、国家間で合意された原子力輸出入計画に対し市民社会、とくに輸入側の市民社会がどのように反応し、それが当該原発の輸入・建設に関わる政策決定過程にいかなる影響を及ぼしたかを、台湾の第四原発(以下、核四)輸入・建設計画を事例として考察するものである。

核四1号機・2号機(改良型沸騰水型原子炉=ABWR)に原子炉を供給したのは日本のメーカーである。これは日本がほぼ独自で設計した、いわゆる「日の丸」原子炉としては最初の、そして今日までのところ唯一の輸出例である。報告者が同原発を取り上げるのは、この事例研究から得られる具体的な知見は、日本政府が進める新たな原子力輸出計画を検討する上で有用と考えることによる。

 

2.「アトムズ・フォア・ピース」と原子力輸出入

世界で原子力輸出入が始まったのは、アイゼンハワー米大統領の「アトムズ・フォア・ピース」演説(1953年国連総会)を契機とする。同演説が提起したのは、軍事利用しないことを条件に核エネルギー技術を提供するというシステムで、その目的は米ソによる「核の共同管理」(垣花・川上 1986)、あるいは「同盟管理」(佐々木 2011)にあった。このメカニズムは「輸出して管理」とも表現できよう(鈴木 2014)。こうして核エネルギー技術は、世界へ拡散していったのである。

これまで原子力輸出入については、主に安全保障に関する研究のなかで論じられてきた1。それは、この国際商取引で移転される技術が核兵器製造にも利用可能であることによる。そのため既存研究の主な関心は、その商取引が「アトムズ・フォア・ピース」の下に構築された核不拡散体制の脅威となるか否かと、軍事転用防止のための制度構築に置かれてきた。したがって考察の対象となるアクターは基本的に国家(及び、国の原子力政策の実務を担う発電事業者や原子力メーカー)である。

 

3.原子力輸出入と市民社会  

しかし原子力発電のリスクに関する知識と情報が人々の間で共有されていくにつれ、市民社会は原子力輸出入の政策決定過程に関わるアクターとして台頭してきた。本報告はこの変化を、台湾の「市民社会」(台湾の文脈において市民社会をどう定義するかは重要な問題だが、ここでは便宜的にカッコ付きの「市民社会」としておく)が核四輸入・建設計画に及ぼした影響を描出することで明らかにする。

その前に、原子力輸出入に関わる主要なアクターの関係を整理しておこう。図1は、発電事業者が国内メーカーに原子炉を発注する場合である。図2は、海外メーカーに発注(すなわち輸入)する場合である。後者では関係するアクターが国内外にまたがるだけでなく、二国間・多国間の原子力協定や、輸出側の公的金融が融資を提供する商業契約などの対外的要素が加わる。したがって同じ原発建設でも、前者は国内プロジェクトであるのに対し、後者は複数国が関与する国際プロジェクトとなる。

 

1 原子力プラント建設に関わる主要なアクターの関係(国内メーカーに発注するケース)

出所:筆者作成

 

2 原子力輸出入に関わる主要なアクターの関係

                 出所:筆者作成

 

4.台湾の第四原発(核四)輸入・建設計画の概要

台湾も日本などと同じく、1950年代に米国から技術導入して原子力開発に着手した。20155月末現在、第一原発(核一)から第三原発(核三)の三ヶ所で計6基が稼働している。それらは戒厳令下の国民党一党独裁体制にあった1970年代から80年代に建設されたもので、米国企業がプラント一式の供給から建設まで一括して請け負った。核四の輸入・建設計画が立案されたのも戒厳令下の1980年だった(戒厳令は1987年に解除)。その後、同計画は幾度かの変更を経て1996年、台電は米国のゼネラル・エレクトリック(GE)に原子炉部分を発注し、そのGEの下請けとして日本の日立と東芝が原子炉を供給した(図3参照)。これは日本がほぼ独自で設計した、いわゆる「日の丸」原子炉としては最初の、そして今日までのところ唯一の輸出例である。核四は1999年に正式着工され、当初の計画では2004年に運転開始の予定だった。

 

 台湾第四原発(核四)の輸出入に関わる主要なアクターの関係

出所:筆者作成

 

同原発の輸入・建設計画をめぐっては戒厳令下の1980年代半ばから、立地地元(新北市貢寮区)住民を中心に反対の声があがり、次第に社会運動の主要課題になっていった。民主化にともない政党結社の自由が進展していくと、核四問題は政治・社会の争点のひとつとなり、立方院(国会に相当)をはじめ関係自治体、学術界、メディアなどで激しい論争が繰り広げられた。そして2000年、民進党は歴史的な政権交代を果たすと「核四再評価委員会」を設けるとともに、討論の様子を全てテレビ放映するなど、情報の透明化を図った。3か月に及ぶ審議の結果、同委員会を招集した経済部長(経済産業相に相当)は核四中止を求める答申を陳水扁総統に提出した。それを踏まえて陳水扁政権は同年10月、核四中止を宣言したのである。しかしその3ヵ月後、大法官(憲法解釈を行う司法機関)は決定過程に瑕疵があったとの判断を下し、それを受けて同政権は建設再開へと転じた。この中止撤回は核四反対運動に強烈な打撃を与えたが、その一方で、運動のあり方や政党との関係を見直す契機にもなったのである。

国民党・馬英九政権は2008年に政権奪回を果たすと、核四の運転開始を「中華民国建国百周年」(2011年)に設定した。ところが根強い反対運動に加え、台電による度重なる設計変更や不祥事などから、建設は遅延に遅延を重ねていた。そこへ福島原発事故が起きた。隣国・日本で発生したこの事故を、台湾の人々は大きな衝撃をもって受け止め、著名人が核四反対を表明したり、原子力技術者が専門家の立場から中止を訴えたりするなど、従来とは異なる顔ぶれが反対側に名を連ねた。さらに核四を推進してきた与党・国民党内部でも、その存廃をめぐって意見が分かれるようになった。

こうして核四中止を求める人々は、台湾の歴史的事情に起因する支持政党や族群(エスニシティ)の違いを超えて、幅広く結集するようになった。その代表的なものが2012年に映画関係者らが始めた「人」をキーワードとする活動である。これは路上などで「人」という字を人文字でつくり、「我是人、我反核」と声をあげ、その画像をインターネットで共有するというものだ。この活動は瞬く間に台湾各地に広がり、2013年からは「核四は不要」をアピールするため、毎週金曜日(周五)午後6時に台北市中心部の広場に集まる運動へと発展した(「不要核四・五・六運動」)。報告者は、核四中止を求めて「人」として自立的・自発的に行動したこれらの人々こそ、台湾における「市民社会」を体現していると考えている。しかしこの変化は福島原発事故後、突如として出現したわけではない。過去の反対運動の蓄積、とりわけ2000年から翌年にかけての核四問題をめぐる一連の出来事から得られた知見と経験が、この変化をもたらしたと見るのが妥当であろう。

台湾では核四以外にも中国との貿易協定といった政府が進める政策に対し空前規模の反対デモが湧き上がるなど、「市民社会」からの異議申し立てが相次いでいる。社会が大きく揺れ動く中、馬英九政権には核四を完成させ運転に入るという政治選択肢は、もはや残されていなかったといえる。同原発の運転の可否については、全国レベルの「公民」投票(国民投票に相当)に問うことが検討されている。

 

6.おわりに――新たな原子力輸出計画へのインプリケーション

現在、核四は「立ち往生」状態にある。最終的にどのような決定が、いつ下されるかは予見が難しい。建設続行にせよ、中止にせよ、コスト負担はさらに増す。同原発の場合、全コストは台湾政府(すなわち台湾の納税者)が負う。それに対し、日本が関わる現在進行中の原子力輸出入案件では、政策変更や他の要因にともなう遅延・中止などから生じる損失は、契約内容にもよるが、輸出側の公的金融(最終的には、輸出側の納税者)も背負うことになるだろう。報告者は、原子力輸出入がもたらす多種多様なリスクについて、輸入側社会と輸出側社会の双方の視座から検討し、その上で、日本政府が進める新たな原子力輸出計画について、開かれた議論がなされる必要があると考える。

 

1.日本政府による原子力輸出計画が具体化するにつれ、原子力輸出入について多様な観点から考察が進められるようになった。原子力輸出を進める産業界の動向を分析したものとしては、村上朋子による『激化する国際原子力商戦―その市場と競争力の分析』(2010)がある。原子力輸出入のマクロ構造と日本の原子力輸出政策に関する論考としては、鈴木真奈美による『日本はなぜ原発を輸出するのか』(2014)がある。地域研究の視角からは、たとえばインドへの輸出については、福永正明による「日本は原発を売るな!―『世界最大の原子力市場』インドで高まる原発反対運動と『インド原賠法』の行方」(2013)、トルコへの輸出については田辺有輝〈2014〉「トルコへの原発輸出が含むリスク」、ベトナムへの輸出については伊藤正子・吉井美智子らによる『原発輸出の欺瞞―日本とベトナム、「友好」関係の舞台裏』(2015などがある。

 

参考文献

伊藤正子・吉井美智子編著(2015)『原発輸出の欺瞞―日本とベトナム、「友好」関係の舞台裏』明石書   

 店.

垣花秀武・川上幸一編(1986)『原子力と国際政治核不拡散政策論』白桃書房.

佐々木卓也(2011)「『核』とアメリカの平和」『国際政治』Vol.163、日本国際政治学会.

鈴木真奈美(2014)『日本はなぜ原発を輸出するのか』平凡社新書.

田辺有輝(2014)「トルコへの原発輸出が含むリスク」『世界』851号、岩波書店、pp29-32

福永正明(2013「日本は原発を売るな!―『世界最大の原子力市場』インドで高まる原発反対運動と『インド原賠法』の行方」『世界』第850号、岩波書店、pp234-242. 

村上朋子(2010)『激化する国際原子力商戦―その市場と競争力の分析』エネルギーフォーラム.