井伏鱒二著『黒い雨』調査報告

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            日本平和学会2015年春季研究大会

               報告レジュメ

広島大学

谷整二

井伏鱒二著『黒い雨』調査報告

―基本文献記述と実態解明努力との関連性、および解明作業の平和学的意義―

 

井伏鱒二著『黒い雨』に記述されている具体的状況が、実態と整合するものであるか否かを調査してその結果を報告する。加えて、『ヒロシマ・ノート』『丸山真男集』『死の内の生命』『原爆体験』について、その一部を調査して報告し、文献記述と実態解明努力との関連性および本報告の平和学的意義について述べる。

1、本報告の立脚点

日本学術会議は1971年第59回総会において全会一致で内閣総理大臣への勧告「原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)」の中で「原水爆の悲惨な経験について、われわれは、これを正しく受けとめ、人類としてこのような過誤を再びおこさせないよう自ら努力する義務と、広く全世界に要請する権利を有する」と述べている。今日の国際社会における人間の尊厳に関する共通の認識からすると、すべての人が、原爆投下の問題は、自己の生存権にかかわることとして、アメリカにおける投下に至った経緯と日本における投下による影響の双方について知る権利を有している。したがって、双方の実態は、すべての人々に提示されるべきことである。その内の広島における投下による影響=被爆の実態を明らかにしていくのが本報告の位置である。

2、被爆の影響実態究明の現状

原子爆弾投下から70年を経過した今日、総合的な実態究明が為され課題が解決されたかが問われる。被爆の実態が、科学的根拠をもって総合的に究明されてきたかという観点に立つと、究明されてきたとは言い難い。前記日本学術会議の勧告にも関わらず国家的な努力による被災資料の総合的・体系的収集・保存はなされず、被害の全体的な究明は、ほとんど未着手のままにおかれてきた(『原爆と広島大学「生死の火」学術篇』)。

広島は被爆の実態を明らかにする義務があるという観点からすると、広島から偽りの資料は出せない。資料批判を経た信頼性のある資料を提示する義務がある。しかし、上記の状況下で義務は果たされていない。確かに、多くの文献が刊行されている。しかし、文献相互間に矛盾があり、いずれが実態であるのか検証もされないまま文献は積み重なり矛盾は増大している。その矛盾が最も集中した事例の一つが『黒い雨』である。

3、『黒い雨』を調査報告する理由

『黒い雨』は小説である。であれば、虚構表現も自由で資料批判は無意味であるといえよう。しかし、井伏鱒二自身が19801981年の自選全集の「覚え書」において「この作品は小説でなくてドキュメントである」と述べている。多くの読者にも、その中には研究者も含まれるが、事実が記述されていると受け取られている。

『黒い雨』は原爆をとらえ得た世界最初の文学的名作という評価が有る。他方で盗作或はリライトであるという指摘もある、しかし、そのように指摘している人達も被爆実態に関する記述内容については評価している。本報告は逆に記述内容のみを調査対象とする。『黒い雨』は、被爆実態を記録した書物としての検証を受けてこなかった。『黒い雨』の記述が被爆の実態に合致しているか否かを科学的根拠をもって明確にする。

それにより、根拠のある実態認識の共有、およびそのための調査手法の共有を目指す。

4、調査の手法

必要に応じて下記資料との対比によって判断し反証可能な記述をする。

 ①客観的物理的状況(川の状況、写真、地図を含む)

 ②日本の学界の総力を挙げた初期調査結果(広島地方気象台の報告記録を含む)

 ③各学校、報道機関等が長年調査した全数調査資料(祇園高女、広島二中、広島市女等)

 ④被爆当時に記録された町内会、町村の記録(草津町内会、川内村役場の記録を含む)

5、『黒い雨』における記述内容の調査結果

 上記①~④の資料と対比して調査した結果、以下のように、実態と合致しないか、合致する可能性の低い記述が多数発見された。(一部の概要)

『黒い雨』記述内容と調査結果

各記述内容の末尾に付した番号は『黒い雨』本文に付されている1~20の番号に対応する

記述内容

          調査結果  

矢須子は草津港で黒い雨に遭遇した、雨に汚れているところだけ布地が傷んでいた

草津港からの海上経路には土砂降りの黒い雨が降った記録は見当たらない。汚れたところだけ傷んだ布地資料は見当たらない。矢須子が黒い雨に遭遇した可能性は小さい。

天守閣が1町も吹き飛んだ

米軍撮影2枚を含む16枚の写真ではその場に崩落  偽      

国泰寺の楠が全部倒れていた、樹齢千年

映画および写真により倒れていたのは1本で他は立っていた。千年前は平安時代でここは海だった『太田川史』偽   

広島二中の生徒に「海ゆかば・・・」を歌わせた

先行文献に偽の類似記述あり。『いしぶみ』外4冊と合致せず。広島テレビ及び中国新聞の全数調査と合致せず 偽               

広島一中校庭の防火用水池死体がチューリップ花壇の様11

先行文献に偽の類似記述あり。広島一中に防火用水池はない。『倒壊校舎脱出生徒の手記』外5冊と合致せず。 偽          

車の荷縄が解けて荷物が抜きとられていた

ここ相生橋東詰は爆心地から240mの地点であり抜き取る価値のある荷物が焼損せずにあった可能性は極めて小

町役場は閉鎖と同じ状態

どの町村役場もなだれ込む避難者の応対に忙殺された。偽

木造橋はみな焼けてしまった

焼け落ちたのは約50橋のうちの5橋であった。   偽

避難民が藁束に火をつけたのかもしれない7

この地区では藁屋が火事になり麦わら帽子が焼けている。藁束も同様に熱線で焼けた可能性が大である。可能性極小

 

救護班員は高蓋村では21人のうち現地で一人死んで帰って来て原爆病で11人が死んだ15

『神石郡誌続編』昭49年出版940~1080 頁より

警防団員でも国民義勇隊員でも救護班員は準軍属である。高蓋村では原爆で死亡した軍関係者は軍人17名、軍属1名、準軍属0名 計18名で救護班員だった者はいない

6、『黒い雨』以外の文献における記述内容の調査結果

文学、学術等で巨大な業績を挙げている人の被爆実態記述の一部を検証する。

6-1、『ヒロシマ・ノート』『丸山真男集』

被爆者が蒸発したとの記述や、白血病の発生状況に関する記述がある。これについて検証し、以下の結果を得た。

記述内容

調査結果

(前略)かれらのあるものは一瞬、蒸発してしまった『ヒロシマ・ノート』

もう1秒早くボタンを押せば、宇品は蒸発していただろう『丸山真男集』

各学校や事業所の捜索・救護記録、報道機関の調査、爆心地の樹木写真、爆心地にそそいだ熱線量の試算等により、「蒸発」は有り得ないとの調査結果を得た。            誤りである

あるものはいまなお、白血球の数にお

びえながらその苛酷な運命を、生きつ

づけている。『ヒロシマ・ノート』

 

広島では現に長期の被爆患者がいる。

新しい患者も出る。そして被爆二世さ

え白血病で死ぬる。

『丸山眞男集』第十六巻

この大江健三郎と丸山真男の記述には根拠が示されていない。他方、放影研の資料による50年間の調査結果では、被爆者の白血病発症率は1.46倍、現在2世への影響は見られない等と述べている。しかし、他では19倍という数値発表もある。 

白血病に関する情報が異なる原因は、放影研が被爆者資料を公開せず独占している状況が続いてきたことにあるという指摘がある。 検証できず

 被爆者資料は人類のものであり、すべての研究者に公開されるようにするのは被爆の人体影響研究の必要条件である。自己の身体資料を提供した被爆者における人間の尊厳に基づく要求、すべての人々の権利、研究者の権利などの観点から検討する必要があろう。

6-2、『死の内の生命』RJリフトン著 桝井迪夫外訳 朝日新聞社(1971)

『原爆体験』 濱谷正晴著2005年岩波書店

これらは被爆者の精神的実態記述において高く評価されている文献である。その中に、被爆によって「精神的崩壊」「精神的荒廃」が始まり、避難においても非人間的行為をしたとの記述がある。これについて検証し、以下の結果を得た。

記述内容

調査結果

心理学的には果てしない呪いの中にお

ちていく 被爆と同時に始まった精神

的崩壊(『死の内の生命』)

精神的荒廃(『原爆体験』)

 爆心地から500m以内での被爆児童計約300名(不確か)のうち生存児童が4名いる。その全員の生涯を追跡調査した中国新聞の資料によって被爆者が一般にそのようには言えない反例を示す。

限定的な視点からの主観的認識といえよう

救いを求め叫ぶ友を見捨て、すがりつく隣人の手を振り放して逃げた者しか生き残らなかった(『死の内の生命』)

 倒壊校舎を脱出して生存した広島一中1年生が19名いるが、その内8名は友達を助け出し4名は助け出されているという反例がある。誤りである。

 10、本報告の平和学的意義

本報告はまず原爆投下問題研究の直接的枠組みとして、アメリカにおける投下に至った経緯と日本における被爆の影響とがそれぞれ明らかにされるべきであると述べた。日本においては被爆の影響を調査してその実態を提示する義務がある。その際、実態と合致しない資料提示をしてはいけない。そのためには厳密な資料批判が必要であることを『黒い雨』その他の資料批判において実際に提示した。資料批判の手法においては、客観的な物理的条件、その時その場の資料および氏名等で個を特定した全数調査結果などと対比した。その過程で広島の資料が決定的に重要であることもわかった。今後更に、義務を共有する平和学研究者が中心になり、科学的根拠をもって総合的に解明していくことが期待される。

 

参考文献・資料

青木幸昌、赤沼篤夫(編)『放射線治療ガイドブック』医療科学社 1992

NHK広島局『ヒロシマ・残留放射能の四十二年 原爆救援隊の軌跡』 1988

合衆国戦略爆撃調査団編『広島に対する原子爆弾の効果』1946

数田猛雄()『原爆倒壊 校舎脱出中学生の手記』、広島県高等学校長協会 1962

笹本征男『米軍占領下の原爆調査』新幹社1995

中国新聞の全数調査 「ヒロシマの記録―遺影は語る」2000年祇園高女 広島二中等

都築正男()「原子爆弾災害調査研究特別委員会医学科会総合報告書」1946

日本学術会議 ()『原子爆弾災害調査研究報告書』総括編、日本学術振興会 1951

日本学術会議 ()『原子爆弾災害調査研究報告集』第1,2分冊日本学術振興会 1953年  

広島県()『広島県史 原爆資料編』、広島県教科用図書販売() 1972

広島県医師会『広島県医師会史』、広島県医師会 1980

広島県動員学徒誌編集委員会()『動員学徒誌』、広島県動員学徒犠牲者の会 1968

広島原爆医療史編集委員会()『広島原爆医療史』、()広島原爆障害対策協議会1961

広島市医師会『広島市医師会史』、広島市医師会 1980

広島市衛生局()『原爆被爆者動態調査事業報告書』広島市1982~2013年に7回発行 

広島市役所()『広島原爆戦災誌』、広島市役所 1971

廣島市役所『昭和21年度 市勢要覧』、廣島市役所 1947年       

広島大学『生死の火 広島大学原爆被災誌』、広島大学原爆死没者慰霊行事委員1975

広島大学『原爆と広島大学「生死の火」学術編』、広島大学1977年 

広島テレビ放送 『いしぶみ』、ポプラ社 1970年  

放射線被曝者医療国際協力推進協議会()『原爆放射線の人体影響1992』、文光堂1992

中等学校31校の史誌・名簿資料94点、各町村史誌 各小学校史誌 死没者名簿等85

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