フランスにおける移民の統合をめぐる問題と排外主義

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日本平和学会2016年度春季研究大会

報告レジュメ

 

フランスにおける移民の統合をめぐる問題と排外主義

 

駒澤大学法学部

中野 裕二

 

キーワード:フランス、移民、統合、共和国モデル、排外主義

 

1.はじめに

 2015年のテロ事件後,「テロリストのねらい」は「フランスの分断」であり,実際にフランスえ分断の動きが見られることが報道された。これに対して本報告は,「移民の統合」をめぐるフランスの公権力側の言説や政策・方針の変化を,1989年の「イスラームのスカーフ」事件を契機として設置された,首相直属の審議会である「統合高等審議会」の報告書を素材として,検討することで,2000年代以降,フランスは「統合」の名の下で,連帯や結束ではなく,分断を作り出していたこと,そして,その手法が,自由を奪うものであったこと,を明らかにすることを目的とする。なお,本報告は,2015年に発表した論考をもとにしている(中野 [2015])。

 

2.多文化共生と移民の統合をめぐる論点

 まず,外国人が移住して市民になるまでのプロセスを確認する。第1段階は「移住」の段階であり,第3段階が「国籍取得」の段階である。そして,第1段階と第3段階の間にあるのが「統合」の段階である。「統合」は,一般的には,複数の要素が相互に結合し,単一の全体性を獲得する過程であると定義できる。実際,フランスの「国民統合」は,歴史的には,種々の属性(言語,宗教など)や多様な考え方(フランス革命の是非など)を有した人々が「市民の共同体」という単一の全体性を獲得する過程であった。フランスは,19世紀以降,近隣諸国から移民を受け入れてきたが,特殊「移民の統合」が考慮されたことはなく,国民統合と同じ論理で考えられてきた経緯がある。つまり,移民という新しい社会の要素を前提として,改めて国民統合をやり直す過程である。ここでは,この意味での統合を「統合Ⅰ」と呼ぶことにしよう。これに対して,「統合Ⅱ」と呼べるものが存在する。それは,すでに国民統合が実現していることを前提に,移民が受入社会の市民が共有する諸要素を獲得して単一の全体性を獲得する過程である。「統合Ⅱ」は,移民が受入社会の言語を習得し,受入社会の価値観や生活習慣を身につけていく文化的変容の過程でもあり(文化的統合),また,住居,雇用,教育面での状況が受入社会の市民の状況と同じようになり,全体社会との交流が進む過程でもある(社会経済的統合)。そして,この文化的統合と社会経済的統合を促進するための政策が「統合政策」と言える。

 

3 ヨーロッパ移民統合政策のなかのフランス

 クリスチャン・ヨプケ(Christian Joppke)は,移民を受け入れた西欧社会の目指す社会像を「隔離主義」「同化主義」「多文化主義」に区別している(Joppke [2007])。図式的に言えば,「隔離主義」はドイツ,「同化主義」はフランス,「多文化主義」はイギリスとオランダである。ところが2000年代初頭以降,西欧諸国には大きな政策変化が見られる。その1つが多文化主義の「退場」である。もう1つは,西欧諸国の移民統合政策の類似化である。ヨプケは,西欧諸国のこうした政策変化を「多文化主義」「同化主義」「隔離主義」から「市民統合」への収斂であると評するが,フランスは1990年代初頭に同化主義とも異なり,多文化主義に親和性のある「参入」や「差異への権利」とも異なる概念として「フランス的統合」を掲げてきた。1990年代初頭以来「フランス的統合」概念を維持しているフランスの政策変化を「同化主義政策から市民統合政策へ」と表現することはできない。それでは,「フランス的統合」の変化はどのように表現できるだろうか。この問いに答えることで,フランスの統合をめぐる問題の現状を明らかにできるだろう。

 

4 統合高等審議会報告書にみる「フランス的統合」の変化

1 1989-1997年:統合促進の要素の同定と経済危機の前の無力感:この時期の特徴は,第1に「統合」は「統合Ⅰ」と「統合Ⅱ」の両面をもつが,「統合Ⅱ」のみに傾かないように繰り返し「統合Ⅰ」の意義が喚起されること,第2に統合高等審議会は,統合の成功には社会経済的統合が不可欠であり,文化的統合もそれによって達成されるという認識に立っていること,しかし,第3にフランス社会が直面する経済危機と差別が社会経済的統合を難しくしているという問題点が述べられていることである。

2 1997-2002年:統合の阻害要因としての差別:この時期の特徴は,統合の阻害要因としての差別に焦点が当てられていることである。フランス社会に存在する差別が移民の統合を妨げているという見方をする点で1997年までの立場との連続性が見られる。ライシテに関しては,1905年法の自由の保障の側面が強調されていて,イスラーム教信者にとって十分に儀式実践の自由が保障されていない点が問題とされている点が特徴的である。

3 2002-2008年:これまでの見解の変更と政策の中心点の移動:この時期は,1989年から2002年までの統合高等審議会の見解が変更されたこと,「受入統合契約」導入により統合政策の中心的対象がおもに移民出自フランス人へと移動したこと,文化的統合のもつ重要性が指摘され,統合が「公的空間への参加」であると読み替えられ,公的空間での宗教的帰属の表明が統合問題の中心とみなされるようになったことが特徴的である。

4 2008-2012年:文化的多様性を尊重してきたこれまでの政策に対する批判:2008年以降の統合高等審議会の立場は次のようにまとめられる。全般的に見たときに統合はうまく機能している。しかし,フランスは「統合Ⅰ」と「統合Ⅱ」を混在させてきたことで,文化的多様性尊重の名の下で多文化主義的要求に妥協してきたため,一部の移民集住地区ではイスラームの実践要求が公的領域の「人民の不可分性」を危うくしている。これからは,過去の政策と断絶し,フランス文化への統合を自信をもって課すべきである,と。

 

5 「フランス的統合」の変化が意味するもの

1 多文化主義政策なきフランスでの「多文化主義政策から市民統合政策へ」:「同化主義」政策と「多文化主義」政策をともに否定して出発した「フランス的統合」であるが,後の審議会から見れば「統合Ⅰ」と「統合Ⅱ」を混在させてきたがゆえに多文化主義的要求に妥協してきたと批判され,「統合」の障害は多文化主義的要求であるとみなされる。この意味で,1990年代初頭と比べた2000年代以降の,とりわけ2008年以降の審議会にとっての「フランス的統合」の変化は,「多文化主義政策なきフランスにおける多文化主義政策から市民統合政策へ」への変化と表現できるだろう。他の宗教的実践はライシテの枠組み内で問題とされないにもかかわらず,特殊イスラームの宗教的実践の事例のみが「多文化主義」的要求として問題視される。

2 共生の理念としての「共和国」から排除の道具としての「共和国」へ:統合高等審議会は,一部の地区の一部の移民出自の人々の行動を多文化主義的要求であると問題視し,イスラームの宗教的帰属の「公的空間」における表現を法律によって規制しようとする。ここで根拠とされるのは「共和国」である。1990年代初頭の「フランス的統合」概念においても「フランス共和国」が根拠とされた。2010年代においても「共和国」が根拠とされる。しかし,公権力(少なくとも審議会)が問題視する一部の宗教的自由を公の場から排除するために,フランスで反対することの難しい「共和国」の原則の名が用いられる。ここに多文化共生の視点はもはやない。「共生」の理念と場であった「共和国」はいまや特定の宗教的自由を排除する「道具」として使用されている。

 

6 おわりに

 2015年の2つの一連のテロ事件によって,オランド政権は,移民の統合,移民出身の国民の統合よりも,「テロ対策」に力を注いでいる。今日のフランスにおいて「分断から連帯・結束への道筋」はいまだ見られない。

 

参考文献

 中野裕二 [2015],「共生の理念から排除の道具へ―「フランス的統合」の変化の意味するもの」中野裕二,森千香子,エレン・ルバイ,浪岡新太郎,園山大祐編著『排外主義を問いなおす フランスにおける排除・差別・参加』勁草書房.

 Joppke, Christian [2007], “Beyond National Models: Civic Integration Policies for Immigrants in Western Europe”, West European Politics, Vol.30, No.1, pp.1-22.