体制移行期の正義の追求とその限界

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日本平和学会2016年度春季研究大会

自由論題部会「体制移行期の『平和』――過去の人権侵害への対処と課題」

報告レジュメ

 

体制移行期の正義の追求とその限界

 

日本学術振興会特別研究員

(東京大学大学院総合文化研究科)

下谷内 奈緒

 

キーワード:移行期正義、人権裁判、民主化、交渉による和平

 

1.はじめに

 拷問や強制失踪など旧政権下で行われた人権侵害の責任者をどのように処遇するかという問題は、比較政治学の民主化研究においていち早く論じられてきたが、そこでは主に新旧両政権の力関係に着目し、誕生したばかりの民主主義の安定を重視する立場から責任追及に慎重な見解が目立つ。しかし、体制移行直後には人権侵害の責任追及を行わない選択をした国々においても、一定の期間を経た90年代以降、過去の人権問題に加害者訴追という形で対処する国が増えている。本報告では世界的に増えている加害者訴追の動きを分析することで、体制移行期の刑事訴追の意義がいかに変容したかを明らかにすることを試みる。

 

2.増加する加害者訴追の動き

 移行期正義に関する最新のデータベース(Dancy et al. 2014)によると、民主化「第三の波」(Huntington 1991)の起点とされる1974年以降に民主化した77か国のうち、90年代以降に何らかの人権侵害行為を行った国家関係者を対象に刑事手続きを開始した国(人権裁判実施国)は50か国に上る。これには体制移行直後には様々な形で免責措置を講じていたラテンアメリカや東欧諸国のほか、紛争が終結したばかりのアジア、アフリカの国々が含まれる。これらの国々については、民主化後に制度としての民主主義(代表民主制)は導入されたものの、実際の選挙では投票結果の改ざんや野党候補者への暴力行為が行われたり選挙期間外にはメディア規制が行われるなど、市民的自由権の保障に問題を抱え権威主義体制の特徴を色濃く残していることが指摘されており(Levitsky and Way 2010)、必ずしも国内の人権保障に積極的とは思われない国々も含まれている。

 

3.体制移行期の正義の追求――その意義の変化

 本報告では、冷戦終結後に国際社会が国内統治に問題を抱える国々に対して内政にまで踏み込んだ関与を強めてゆくなかで、過去の人権侵害への対処は各国政府にとって、かつてのように対内的安定を脅かさない限りにおいて行われる一国内における政治エリート間の力関係にのみ基づいた判断から、国家権力を対外的に正統化する手段に変化しているものと捉える。今日の国際援助政策や安全保障政策においては、民主的選挙の実施や法の支配確立のために積極的な支援が行われ、これらが援助供与の条件になるにとどまらず、自国民に対して重大な人権侵害行為を行う指導者は国際刑事訴追の対象となり、「保護する責任」の概念に従って軍事攻撃の対象ともなりうる。人権規範を、主権免除の恩恵を享受してきた国家指導者といえども重大な人権侵害行為を行った場合には不処罰を免れ得ないところまでに高めた国際刑事裁判は、それまで国内少数派に留まっていた被害者やその支援者による加害者訴追の要求を増大させ、人権裁判を実施する政府のインセンティブを高めた。加害者の責任追及は、権威主義的傾向を残す国々や民主化を経たばかりの国の指導者にとって、かつてのように民主主義の安定を脅かしかねないマイナスの要因から、国際正統性を確保することで政権の安定に資するプラスの要因に変化している。

 

4.限界

 上記の考察は、必ずしもすべての国が国際人権規範を内面化して過去の人権問題に対処しているわけではないことを示唆する。国内統治に問題を抱える国の中には、国際正統性を確保することで政権維持を図ろうと戦略的利害や国際圧力に応える形で人権裁判を実施する場合がみられ、過去の犯罪に真摯に向き合っているわけではないとの指摘もある(Subotic 2009)。さらに人権裁判を実施しているのは、あくまで民主化した後の国々においてであり、訴追対象は現職ではなく旧体制の指導者に留まっている。近年のリビアやスーダンにみられるように、体制移行が目下の課題となっている移行期にある国々においては、加害者である国家指導者の責任追及は、紛争の平和的解決の基盤となる交渉による体制移行を実現するうえで難しい課題を抱えている。

 

参考文献

 大串和雄(2012年)「『犠牲者中心の』移行期正義と加害者処罰――ラテンアメリカの経験から」『平和研究』第38号、1~22頁。

 Dancy, Geoff, Francesca Lessa, Bridget Marchesi, Leigh A. Payne, Gabriel Pereira, and Kathryn Sikkink (2014). "The Transitional Justice Research Collaborative: Bridging the Qualitative-Quantitative Divide With New Data." www.transitionaljusticedata.com.

 Huntington, Samuel.P. (1991). The Third Wave: Democratization in the Late Twentieth Century (Norman, OK: University of Oklahoma Press).

 Jelena Subotic (2009). “The Paradox of International Justice Compliance,” International Journal of Transitional Justice 3 no.3. pp.362-383.

 Levitsky, Steven, and Lucan A. Way (2010). Competitive Authoritarianism: Hybrid Regimes After the Cold War (New York: Cambridge University Press).