アメリカにおけるヒバクシャ・ストーリーズの取り組みから学ぶ

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2016年6月25日

平和教育分科会報告

被爆体験の継承と平和教育の課題

─アメリカにおけるヒバクシャ・ストーリーズの取り組みから学ぶ─

 

京都橘大学人間発達学部児童教育学科

公益財団法人原爆の図丸木美術館理事長

小寺 隆幸

 

キーワード:平和教育、被爆者、ヒバクシャ・ストーリーズ、核のない世界へ

 

1.原爆の記憶の風化の中で問われる選択

 戦後71年。戦争を体験した世代が数少なくなる中で、だがその記憶の継承が学校教育でも社会教育でも組織的に行われているとは言い難い。

敗戦後、戦火の辛酸を味わい尽くした私たちの父母の世代は、戦争責任を問い日本がアジアで何をしたかを追及する点では不十分だったとしても、もう戦争はこりごりだという実感を子どもたちに伝えてきた。教師も戦時下の反省に立ち、「教え子を再び戦場に送るな」を掲げ、戦争の悲惨さを伝える取り組みを全国津々浦々で行ってきた。それらが私たち戦後世代も含む民衆の「記憶」となり、9条の理念とともに戦後日本の「平和国家」としての歩みを支えてきた。

 しかし現代の青少年にとって71年前の「戦争」を具体的に知る機会はほとんどない。2016年5月、本学児童教育学科1年生159名に調査した結果、「身近な方から直接戦争の話を聞いたことがある」学生は59名で37%に過ぎなかった。聞いた方の内訳は祖父母40名、曾祖父母6名,親戚3名、地域の人3名などであり、その内容も疎開や戦後の生活、祖父母が親から聞いたことなどが多い。

 次に被爆者の体験をある程度まとまって聞いたことがあるかを尋ねたところ、直接聞いたことがある学生は71名(45%)、TVなどで聞いたことがある学生は16名(10 %)、全く聞いたことがない学生は72名(45%)だった。直接聞いた学生では、その場は“小学校修学旅行”20名、“小学校で”23名、“中学修学旅行”2名、“中学校で”11名、“高校で”5名、“家族で広島に行って”6名であった。本学の学生の多くは近畿・中国地方か来ており、小学校の修学旅行で広島に行く学校も多い。東日本の大学生で調査すれば直接聞いたという学生は更に少ないだろう。またその内容をある程度記憶している学生もそう多くない。中高生という社会の在り方についての考えを深める時期に被爆者と出会った学生は10%しかいないのである。

 それでも今の若者たちにとって戦争体験、とりわけ被爆体験にふれる場としてまだ学校が機能しているとはいえるが、それも風前の灯火である。「学力」至上主義、多忙化、平和教育に関心が薄い教員の増加、国語教科書の平和教材の減少、「はだしのゲン」問題などに見られる草の根保守主義の攻撃と教育委員会や校長の自己保身的事なかれ主義的対応などにより、戦争や平和を考える学校文化は衰退しつつある。データに表れている限り、例えば広島平和記念資料館を訪れる学校団体の数は減ってはいない。(2012年度は小学校2256校約154000名、中学979校約84000名、高校882校約75600名)しかし現場の取り組みを見ると、業者任せにして事前・事後の学習も形骸化している学校が増えているように思える。

 2015年8月に放映されたNHK「クローズアップ現代」No.3696「どう伝えるヒバクシャの思い」はこのような現場の状況に切り込んでいる。以前は年100件近くあった学校での講演依頼が最近は半分になったという被爆者の声。そして被爆者の話を子どもたちに聞かせたいと積極的に考えた都内の若い小学校教師は、「目玉が飛び出した」という表現が子どもに受け入れがたいと考え被爆者を招くことをやめたと語った。

 島原市の中学校では79歳の被爆者の証言を校長が遮ったという事件があった。全校生に長崎の惨状を話した後で、「原爆は70年前のことですが広島・長崎を経験した日本がどうして原子力発電をするのか」と語りかけると、「政治的だから」と無理矢理中断させた。放射能の被害を受けた被爆者が原発への危惧を語るのは至極人間的なことで政治以前の問題であるはずだが、それさえ許さない状況が生まれている。

 この番組の中で、被爆者の話が「悲惨な体験⇒核廃絶」と定型化されており、聞かなくてもいいという雰囲気が現場教師にあることも指摘されている。だが被爆者の方に話をうかがってみるとそれぞれの経験や思いがあり、定型化しうるものではない。定型化しているとすれば、被爆者が実際に体験したことを「悲惨すぎる」と曖昧に言うことを求め、さらに被爆者の人間としての思いさえ発言しないように求める学校の姿勢の結果でもあろう。この事なかれ主義が、子どもたちに現実と向き合わせ、人間としての思いを深く受け止めさせることを妨げている。そして今、このような学校の姿勢は、下からの草の根保守の動きと上からの強制によりますます強まり、学校現場には平和教育への無関心が広がっている。

 こうして戦争の悲惨さ自体が覆い隠される中で、子どもたちの戦争のイメージは「ゲーム」のようなリアリティを欠いたものになる。そこに「愛するもののために戦う」という戦争の美化や愛国心教育がじわじわと入り込んでいる。今後、核に自覚的に向き合わなければ、核保有へと流される危うさも潜む。

 NHKが2015年6月に実施した原爆意識調査によれば、「アメリカが広島と長崎に原爆を落としたことをやむを得なかった」とする人が40%に上る。原爆の下で起きた悲惨な事実を具体的に認識していないからではないか。さらに日本の核兵器所持については、「保有も使用も良くない」が81%と多数であるとはいえ、「必要な時は使用しても構わない」が1.3%、「保有は良いが使用すべきでない」が14%も存在する。このような意識の変化を助長し、将来的には核保有という選択もありうることを暗に語ったということが、「核保有自体は憲法9条が禁じていない」という安倍政権の見解の本質だろう。

 今、国際社会では、被爆者の粘り強い訴えにこたえた国際赤十字やオーストリア・メキシコなどの国々の努力の結果、核兵器は非人道的でありいかなる場合も使うべきではないという認識が137か国に共有されている。しかし国連の作業部会で「核の傘」を護持する日本政府は、それに真っ向から反対している。遠からず、核使用禁止条約に日本が賛成するのか反対するのかの決断が迫られる。

 前述のNHK調査では、「日本の安全保障のために、アメリカの核抑止力に頼る『核の傘』が必要か?」という質問に「今も将来も必要ない」と答えた人は44%だった。2001年には55%だったので大きく後退している。過去の原爆の悲惨さを伝えながら、政治の問題に踏み込むことを避けて「核の傘」の意味を子どもたちや市民と考えてこなかった思想的弱さゆえに、近年の北朝鮮の核実験で動揺した結果だろう。

 北朝鮮に対抗し韓国でも核武装の動きが表面化し、米国内でもトランプ発言が示すように日本核武装を容認する動きさえ出ている。それに乗じて日本国内でも一部政治家は核武装を虎視眈々と狙っている。核廃絶という日本の「国是」が揺らぎかねない。そういう時だからこそ、私たち自身が今、核使用禁止条約に賛同し「核の傘」から離脱することを平和運動の課題に据え、平和教育においてもその問題を考えることが必要ではないだろうか。そのことが日本核武装を目指す動きを封じ込めることにつながるだろう。

 このように現在の課題を設定するならば、原爆は絶対悪であり使うべきではないということを市民の共通認識にしていくために、これまでの取り組みでは何が不十分だったのかと問わねばならない。あの日を境に世界は変わり、人類は核時代に突入し、今もその呪縛は続く。過去のことではなく今の自分の問題だという認識をどう育むのか。そのことをヒバクシャ・ストーリーズの取り組みを通して考えてみよう。

 

2.ヒバクシャ・ストーリーズの取り組み

 ヒバクシャ・ストーリーズは 2008年に、当時国連軍縮局に勤務し、日本にも度々来て被爆者と深く交流していたキャサリン・サリヴァンさんらが、ニューヨークで“Youth Arts New York”を母体に立ち上げたNGOである。そのMissionには次のように記されている。(http://www.hibakushastories.org/参照)

「使命は核兵器のない世界を構築するために、高校生や大学生に広島と長崎への原爆投下の遺産を渡すことです。今日の若い人たちは核の危険性についての意識が乏しいまま育っています。…しかし核の危険性は増大し続けています。…今、私たちが核問題を深く理解して若者に提示していかなければ、若い人々の未来を大きく損なうことになるのです。私たちは軍縮教育への新しいアプローチを提供します。様々な専門分野のミュージシャン、作家、建築家や芸術家と学生を結びつけ、直接核軍縮のための運動に貢献するとともに、多世代の芸術コミュニティを開発していきます。」

 この取り組みの特徴は、核兵器だけでなく原発や廃棄物の問題までトータルに考えること、アートと結びつけること、州の教育課程と関連づけたプログラムを提示していることにあり、被爆者の人間性に触れ対話を通して子ども達自身が考え始める契機を作ることを重視している。2008年から2015年までの8年間で、ニューヨークの30000名の中学・高校・大学生に被爆者が直接話す機会を作ってきた。毎年春と冬の2回、アメリカ大陸や日本に住む被爆者の方々を招き、1週間ほど共同生活をしながらニューヨークの中学・高校・大学を訪問し、子どもたちと対話する取り組みを続けてきた。毎日2クルーがそれぞれ午前に1校、午後に1校を訪ねるというハードスケジュールである。

 証言される被爆者は10名以上、さらに著名な平和・環境活動家のヨアンナ・メーシーさんやトルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんも協力している。ダニエルさんは9歳の息子が佐々木禎子の本を読んだことがきっかけで禎子の親族と出会い、それ以来被爆者と共に語り続けてきた。

 2015年4月に私もその取り組みに数回立ち会うことができた。その中で、次のような場面に出会った。被爆者の話の後で一人の生徒が立ち上がり、涙ながらにこう問いかけた。「私は今、子どもの頃のトラウマに悩まされているのですが、私よりもよほど凄惨な経験をされたあなた方がどのように、その怒りや憎しみを乗り越え、その経験を証言できるように立ち直れたのか教えてください。」

 それに対して長崎の被爆者山下さんは次のように語った。「重要なのは辛い経験を全て心の中に秘める事ではなく、外に向かって証言する事でした。私は1995年まで被爆者という事を隠し、過去の事は一切話しをしませんでしたが常に心の中に痛みを抱えていました。それが被爆者であるという事と過去の経験を証言する事によって痛みがやわらぎ、これが私自身のセラピーになっているのだと気づきました。」

 このようにこの取り組みは、災厄を乗り越えてきた被爆者と若者たちの生き方を巡る対話となっている。高校生たちは、被爆者の生き方に感動し、アメリカへの憎しみを核廃絶へと昇華させた思想に共感する。これは被爆者の深い言葉とともにそこからにじみ出る人間性による。この取り組みがヒバクシャ・ストーリーズと名付けられているように、事実を知識として語るのではなく、そこから始まる生き方を物語ることで国境や文化を超えて子どもたちに響く。そして子どもたちは「自分と同じ苦しみを味わわせたくない」という言葉を、被爆者が自分のために闘っていると感じ、一人の人間としてまっすぐ受け入れる。

 昨年12月にはニューヨークの「原爆の図」展で行われたヒバクシャ・ストーリーズの5時間に及ぶ授業にも立ち会った。高校生たちは静かに原爆の図に向き合い、その後の話し合いで口々に語った。

「女の子と赤ちゃんに希望を見いだした。」「核や差別はこのままでは解決しない。大切なのは知ること。レスペクトが大事だ。」「この判断は正しかったのか。これが自分の国なのか。こんなにも犠牲が必要だったのか。これが望んでいた結果なのか。」「核兵器は悪魔の兵器だ。罪もない人たちにこういう兵器を使うこと、まだ持っていることが信じられない。せめて使われないことを願う。」「言葉でこれを表現できるのか。人道に反する。この記憶を留めければならない。」「これを見るだけで世界は変えられるのではないか。これを見ても世界を変えたいとは思わないのだろうか。私はこれをきっかけに変えていきたい。」

 「原爆の図」をアメリカの若者たちは人間の苦しみとしてありのまま受け止め、人間の尊厳について考え、自分の国や歴史を見つめ、世界を変えていきたいと感じている。その後、原発についても考えた。最後にサリヴァンさんは「放射能は見えない。見えないものが人を傷つけるということを考えながら、核と向き合ってほしい。核兵器と原発は、見えないものと闘いながら、それをどう自分の問題としてとらえ返すかということです。数十㎞先にあるインディlアンポイント原発についても考えていこう」と結んだ。ニューヨーク展の会期中、このようなワークショップは7回行われ、計250名の生徒が参加したという。

 アメリカでは、今も多くの人にとって原爆投下は正しいと考えられてきた。ただ2015年7月の調査では全体では『正しかった』45%が『間違っていた』29%を少し上回ったが、18~29歳ではそれぞれ31%、45%と逆転している。(yougav.com July2015)このアメリカ市民の意識変化を促した一つの要因が、ヒバクシャ・ストーリーズなどの地道な取り組みであろう。以前は“ No More Hiroshima!”というと多くのアメリカ人からは“Remember the Pearl Harbor!”と返ってきたというが、昨春私が見たのは、被爆者と抱き合って泣く高校生や、“Never again Hiroshima・Nagasaki”と被爆者と共に合唱する高校生の姿だった。

 さらに、ヒバクシャ・ストーリーズが、原爆から始まり、核廃棄物の問題、環境汚染やこれからの文明のあり方も視野に入れて活動していることも私たちは学びたい。若者が自分自身の生き方を問う中で、これらの問題は決して別々にとらえられるものではない。核のない平和な世界をと彼らが考えるとき、放射能汚染の問題は避けて通れない。これを狭い意味で政治の問題と考えるのではなく、有限な地球上で持続可能な社会を創りたいという大きな願いの中に位置づけ、想像力をふくらませていくのがヒバクシャ・ストーリーズの方法である。“Youth Arts New York”を母体に生まれたからでもあるだろうが、さまざまなアーチストが協同していることが、この取り組みをより深いものにしている。広島の惨状をいち早く世界に伝えたハーシー記者の孫、キャノン・ハーシーもヒバクシャ・ストーリーズに協力しShadow People Projectを展開している。(http://www.shadowpeopleproject.org/)

 平和を考えることは、心の平和を考えることであり、また様々ないのちの尊さとそれを育む地球環境のあり方を考えることでもある。それは感性もやわらかくしなやかにそして鋭くしていくことでもある。日本の平和教育に、アートで人と人をつなげるという視点を組み込むことも重要ではないだろうか。

 

3 核のない世界をめざし、被爆者の声を聴く取り組みを

 今、核の問題を子ども、若者、市民とともに考えるとはどういうことか? 以下、7点を提起したい。

① 被爆者の声に耳を傾け、それを通して核兵器の非人道性を深く考える。そのために、原爆の下で何が起きたのか、今も続く苦しみとは何か、を具体的に、目をそむけずに見据える。またこれまで原爆の事実を非人道的だと考えても、投下したアメリカの政策の非人道性として明確にとらえることは弱かった。そのことが原爆を使う主体の問題を曖昧にし、アメリカの「核の傘」の下にある日本の立ち位置も曖昧にする。有事の際には日本が原爆投下を要請し支持するという現実として考えようとはしなかった。また被爆から10年もたって佐々木禎子さんが突然発症し亡くなった事実や、70年後の今も被爆者を癌が襲っていることを知ってはいても、原爆と原発に共通の放射能の危険性、特に内部被曝の問題に目を瞑ってきた。

② 原爆を歴史的事実であるとともに今に続く問題としてとらえる。従来、原爆を歴史として扱いながら、しかしそこに至る日本の侵略や加害の文脈からは切り離し、またその後のアメリカの対ソ戦略や米ソの核軍拡の文脈からも切り離してきた。その結果、子どもたちには自分の問題、今の問題としてとらえられない。原爆の下で何が起きたのかを考えることは、もし今後朝鮮半島で原爆が使われたら何が起こるのかを想像することにつながらねばならない。今後核使用が最も危惧される場所の一つが朝鮮半島なのだから。 

 こうして核兵器の問題を考えることは、現在の世界のあり方を考えることであり、様々な矛盾を抱える世界で、戦争を防ぐにはどうするかを考えることにつながる。子どもたちもこういう問題意識は持っている。イスラム国による後藤さん殺害の直後に小学校で授業を行ったが、イスラム国への空襲が何をもたらすのか真剣に考える。現実の問題は容易にほどけない矛盾に満ちている。それを考える中で武力では解決しないことに気づく。戦争の根源に貧困や差別や人が人として尊重されない世界があることが見えてくる。

③ 広島・長崎により始まった「核の時代」の意味を考える。世界を滅ぼす力を人類は手に入れ、今も核の臨戦態勢は続き、狂気によりあるいは偶発的事故により短時間のうちに地球は壊滅しかねない。そういう世界を甘受するのか。原爆開発の過程で生み出され、今は原発により創り続けているプルトニウムは100万年管理しなければならない。未来世代に負の遺産を押し付けることは倫理的に許されるか。このような世界で生きるのか、ニュークリアーフリーワールドをめざすのか、という選択が私たちに問われている。

④ この核の時代にあって、71年間核兵器を使わせてこなかったのは人々の努力と闘いの成果である。そこに学び、今世界で起きている動きに目を向ける。苦悩と沈黙から立ち上がって世界へと訴えてきた被爆者の闘い。ラッセル・アインシュタイン宣言に示された科学者の訴え。核実験による放射性降下物を追及したポーリングの取り組み。ビキニ事件をきっかけに署名運動を始めた杉並の母親たち。原爆の子の像を作った中学生の思い。ロスアラモスの子供たちの闘い。80年代の世界の反核運動。国際司法裁判所での闘い。そして国際赤十字の呼び掛けから始まった核兵器禁止条約をめざす現在のおおきなうねり。その中で、核兵器使用禁止条約に賛成か、反対か。被爆国の国民として、私たち一人ひとりが問われている。

⑤ このような学習を知識中心ではなく、子どもたち自身が考える過程を軸に創造する。アメリカの歴史教科書では原爆被害も過小評価されるとともに、原爆は終戦を早め、本土決戦で予測された数十万の米兵の犠牲を回避したとの説明が一般的だが、それでも授業では原爆投下は必要だったかの議論がなされる。そのような教育が若者を確実に変えている。その際、どちらの意見であろうと教え込むのではなく、子どもたちの批判的精神を育て、将来の主権者として自分で判断する力を培うことを目標にしたい。

⑥ ヒバクシャ・ストーリーズに見られるように、人と出会うことで、その人の生き方にふれ、共感しあるいは反発しつつも、その想いを受け止め自分の生き方を考える視点も大事にしたい。

⑦ 核の時代を考えるための想像力を研ぎ澄ます。大江健三郎は34年前、若者にこう語った。「侵略戦争の加害者としての責任も込めて原爆被災を考えることも含めて、原爆の人間的悲惨から出発して、核兵器の威力に対抗し、ついにはそれを廃絶する。その生き延びる人間の論理に立った強い想像力の行為が、かって、われわれのものだった。」「想像力とは、我々がこの世界について持っているイメージをつくりかえる、そして新しいイメージをつくりだす能力なのです。」(「核の大火と『人間』の声」岩波書店1982)

 被爆者の話からその人の生き方、想いを想像すること。ジョー・オダネルの撮った一枚の写真「焼き場の少年」から、何故少年がそこにいるのか、その背後に何があったのかを想像すること。「原爆の図」を見て、そこに描かれた情景とともに描かれなかった情景を想像すること。ラッセル・アインシュタイン宣言を読み人類の未来を想像すること。そして絵で、アニメーションで、合唱で、音楽で、ダンスで…自分の想いを発信し、それを通して仲間と、世界とつながること。前述したハーシーのプロジェクトは黒田征太郎さんの「ピカドンプロジェクト」からつながって生み出された。(http://www.pikadon.jp/top.html)

 このような視点を組み込んだ総合的な取り組みを、中学・高校・大学・様々な社会教育の場で展開することで、被爆の記憶を現在に甦らせ未来へと伝えていきたいと思う。今、中教審が2020年からアクティブラーニングを中高にも導入しようとしており、それをも活用して、現場の教師と被爆者・市民・アーチスト・科学者らによる協同の授業や地域の取り組みとして実現したい。丸木美術館でも可能性を探りたい。