自衛隊による駆け付け警護任務追加と武器使用権限拡大をめぐる課題

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南スーダンPKOにおける自衛隊活動の特徴と安全保障関連法施行に伴う変化

~駆け付け警護任務と武器使用権限の拡大をめぐる課題~

 

東京新聞論説兼編集委員

半田 滋

 

1 自衛隊派遣の背景

 国連から日本政府へのスーダンPKO(UNMIS)への派遣要請はUNMIS設立時の2005年にあった。自衛隊はイラク派遣中であり、実現しなかった。次の要請は08年で、自民党政権の福田康夫首相は司令部要員二人の派遣にとどめた。三度目は民主党政権に交代した後、10年のヘリコプターの派遣要請だったが、危険を理由に陸上自衛隊が反対し、消えた。四回目が現在の施設部隊の派遣要請であり、実現し、現在に至る。

 当時の折木良一統合幕僚長は会見で「派遣を仮定すればハイチPKOと二カ所になる。(陸自の)体力的には可能だ」と明言、実施に踏み切った。

 背景に10年12月、民主党政権下で閣議決定された「防衛計画の大綱」における「陸上自衛隊の一人負け」がある。中国に対抗する「南西防衛」「島しょ防衛」が打ち出され、海上自衛隊が潜水艦や護衛艦の増強、航空自衛隊は那覇基地へ戦闘機部隊を追加配備する強化策が認められる一方、陸自は財務省と定員削減で揉め続けた結果、一千人を削減され、「大規模侵攻は起きない」として戦車、大砲の三分の一を減らされた。

 意気消沈していたところに起きたのが東日本大震災である。献身的に活動する陸自へは日本中から称賛の言葉が降り注いだ。この追い風を、南スーダンPKOへの参加で加速させ、陸自再興へつなげる思惑があったとみられる。

 

2 自衛隊活動の特徴

 2012年1月、自衛隊の先遣隊派遣を皮切りに南スーダンPKO(UNMISS)への参加が本格化した。国連の要請は「北部のワウか、 マラカウへの施設部隊派遣」だったが、危険を避けるため陸自側が断り、首都ジュバでの活動を逆提案し、国連が認め、現在に至る。

 1992年のPKO初参加以来、対立を続けた外務省と防衛省の思惑が珍しく一致しているのが特徴。「自衛隊派遣が中国を牽制し、米国からの信頼を増すことになる」(防衛省幹部)とされ、日米連携により、中国と対抗する狙いがうかがわれる。

 石油資源を海外に求める中国は、産油国のスーダンに多くの中国企業を進出させており、スーダンにとって最大の貿易相手国。スーダンPKOに施設部隊三百人を派遣していたが、南スーダンPKOの設立と同時にこの三百人をそっくりワウへ移行させ、今度は南スーダンへの影響力を強めるとみられた。

 中国がアフリカのPKOに軍隊を派遣するのは八カ国目。ODAも積極的に投下する一方で、ガーナ、ナミビアに戦闘機、ケニア、ルワンダなど六カ国に装甲戦闘車を輸出してアフリカ内戦に悪影響を与えている。マッチ・ポンプ外交の典型といえる。

 一方、米国は9.11以降、アフリカの治安情勢に関心を高め、08年にはアフリカ大陸全土を統括する「アフリカ軍」(司令部ドイツ・シュツットガルト)を設立した。しかし、1993年に米兵十九人が惨殺されたソマリアPKOでの失敗に懲り、アフリカのPKOへの部隊派遣を見合わせ。当然ながら中国に比べて存在感は薄い。

 陸幕幹部は「米国がやらないアフリカのPKOこそ、日本が参加すべきだ」と主張。自衛隊が参加すれば、中国の関与を薄めることができるという。南スーダンPKOへの部隊派遣は、中国と覇を競う米国の「名代」を意識したことになる。

 南スーダンPKOにおける活動の特徴は、現地支援調整所(所長・一等陸佐、現支援調整班)を置き、UNMISS司令部だけでなく、国連機関(UNHCR、WFPなど)、南スーダン政府、ジュバ市当局と業務の調整を行い、施設隊(隊長・一等陸佐)が実施する「外交」「実施」の二本立てとしたこと。調整は在南スーダン日本大使館、国際協力機構(JICA)、日本の非政府組織(NGO)にも及び「オールジャパン」体制が構築されている。

 

3 安全保障関連法による変化 

 

                    武器使用     実施計画変更

 駆け付け警護(第3条 5項 ラ)   任務遂行型    必要

 任務遂行のための武器使用(第26条) 任務遂行型    必要

 宿営地の共同防衛(第25条 7項)  自己防衛型    不要

 

 16年2月取材・南スーダン日本大使館の話「南スーダンの在留日本人は自衛隊を除いて80~90人。90人までいくことはない。増減があるので、約80人でいいと思う。国連職員や大使館員、国際協力機構(JICA)の職員、国境なき医師団、赤十字関係、ODA関連の民間企業などがいる。基本的にジュバ中心で、ジュバ以外にいるのは国連関係者や国境なき医師団、赤十字関係など数人。10人まではいない」

 

13年12月15日、首都ジュバで大統領警護隊同士の衝突が発生、与党スーダン人民解放運動(SPLM)内の派閥抗争(キール大統領派対マシャール前副大統領派)の激化により発展し、その後各地で民族に基づく人権蹂躙の事案が発生した。15年8月27日に停戦合意、今年4月マシャール副大統領がジュバへ復帰

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少なくとも日本人に対する「駆け付け警護」は不要か

 

4 陸上自衛隊の要望から実現した「駆け付け警護」

 ①   カンボジアPKO(1992年)、ルワンダ難民救援(1994年)、東ティールPKO(2002年)

 ②   イラク派遣の際、日本人3人が拘束、解決は宗教指導者による交渉

 

※ 不安は2014年7月、シリアで米軍特殊部隊による「駆け付け警護」の失敗事例。能力と情報のいずれかが欠けても成功しない。

 

5 任務遂行のための武器使用

 2001年12月のPKF凍結解除以降、陸上自衛隊が「参加条件」として主張。PKFに参加の考えはないため、「駆け付け警護」についてのみ有効。 

                                        6 第5次隊が経験した「宿営地の共同防衛」

 13年12月24日、UNMISSから国連部隊の宿営地トンピン地区の警備強化命令がメールで出され、第5次隊は「火網の連携」を除いて実施。

 

以上