安保法制と日米同盟の行方――東アジアの現状を踏まえて

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日本平和学会2016年度秋季研究集会報告レジュメ

安保法制と日米同盟の行方―東アジアの現状を踏まえて

東海大学法科大学院

永山茂樹

 

キーワード:安保法制、日米安保条約、平和主義、主権

 

1.はじめに―日米同盟の現在

 報告者には「近い将来において日米同盟はどうなるのか/なりうるのか」を、東アジアの現状をふまえながらかんがえることが求められている。

 日米関係は、これまで以上に非対称的・恒常的・非限定的な軍事同盟へとシフトしつつある。その変化(深化)を象徴するのは、①特定秘密保護法=13年、②第3次ガイドラインによる軍事的意思形成機構の統一強化(同盟調整メカニズム・共同計画策定メカニズム)=15年、③安保法にもとづくシームレスな米軍支援(武器弾薬の提供、平時からのアセット防衛、ミサイル迎撃など)=15年、④安保法で可能となった物品役務を円滑に提供するためのACSA改定=16年である。

 

2.自衛隊の行動を規定する2つの要因

 深化した同盟枠組のなかで自衛隊が負う役割は、主に2つの要因によって規定される。

 第一の要因はアメリカの戦略である。クリントン「政権」は(世界戦略全体はべつにして)、現在のアジア政策を基本的に継承するはずだ。中国と安定した経済的関係をたもちつつ、アメリカを中心に構成された米日韓豪の4国同盟を通じて、東アジアで中国軍と対峙する基本戦略は維持されるだろう。他方トランプは、同盟国から負担を引きだすためのカードとしてアジア・モンロー主義をつかう。しかしトランプ「政権」としてそれを実行することは不可能である。

 第二の要因は中国や北朝鮮の対応である。しかし中朝2国の軍事行動はまずアメリカによって認識・評価されなければならない。つまり中朝は自衛隊の役割を決定するうえで間接的な要因にとどまる。アメリカがそれを重視したとき、自衛隊は従属的立場から動員される。

 もっとも安倍政権は、軍事的に自立した天皇制国家を追求する復古勢力(日本会議)に支持基盤をもち、その主張に影響される。領土・領海や核開発、歴史認識、拉致などをめぐり、自衛隊や海上保安庁がアメリカから相対的に自立して行動する可能性を、完全には否定できない。

 

3.第3の要因は存在するか

 では自衛隊の軍事行動との関係で、第3の要因はあるか。

 第一に東南アジア諸国である。これら諸国は、中国の西太平洋への進出と4国同盟の双方を警戒する。4国同盟軍のプレゼンスは歓迎しつつも、中国軍との本格的軍事衝突や、それを助長する関係国の突出した行動を望まない。東南アジアがこぞって4国同盟との一体化に邁進するかのようなとらえ方は正確ではない。

 第二に日米同盟の矛盾を押しつけられた地域(直接には辺野古・高江・岩国。また間接には韓国=星州のTHAAD配備)における市民の反応である。これら地域では、地域の自治権確立と一体化しながら、反軍事主義的な市民運動が展開している。

  第三に現行の政治システムのなかで、マイノリティにとどまる諸価値である。たとえば成長・競争・単一・格差・新自由主義国家・極端なグローバル化よりも持続・調和・多様・平等・福祉国家・適度のグローバル化を重視する意識は、ポスト3・11において潜在的多数である。にもかかわらず、社会的偏見と代表制のゆがみのなかで、効果的に表出されない。

 かりにこうした「周辺」的意識が「多数」「中央」的意識に浸透していくなら、自衛隊と日米同盟の再考が現実化し、脱軍事化の展望がひらかれるだろう。

 

4.日米同盟と日本の主権問題

 自衛隊と日米同盟のあり方との関係で、日本の主権問題をかんがえる。

 軍事力行使に関する国家の意思決定は、一般に国家主権(軍事的主権)に属する。46年憲法は平和主義条項(平和的生存権の保障・戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)をおくことで、軍事的主権にたいする自己拘束の枠をはめた。しかし51年サ条約と同時締結の旧・安保条約は、改憲を経ずに、日本の軍事的主権を捏造した。そのうえで軍事的主権はアメリカへ委譲させられた。

 主権とはまた、国家権力行使のあり方を最終的に決定する権限の帰属主体を示す原理でもある。日本国憲法でその主体は「国民」(前文および1条)とさだめられる。

 しかし国民は、この主権から疎外されている。第一に抑圧的な秘密・メディア法と不十分な情報公開制度によって、軍事的情報へのアクセスと判断をさまたげられる。第二にゆがんだ選挙制度(投票価値の不平等)と議会制の形骸化(行政国家現象)によって、主権者意思を権力行使に反映することができない。

 国民は主権を二重に奪われている―日本国自体が主権を失い国際社会で主権国家としてふるまえず、また国民が国内政治において主権者の権利を行使できないという意味で。こうして国内における「周辺」的意識はいつまでも「周辺」にとどまる。しかし国会周囲の反・安保法運動は、46年憲法が想定した軍事的主権をそのままに奪還することをめざした立憲主義運動であるが、同時に「周辺」的意識が「中央」に浸透し、主権者意思に転化する可能性を示した。

 問題の本質を曖昧化し、46年憲法は軍事的主権の保有と行使を禁じていないとか、アメリカとの関係で軍事的決定権は共有・分有されているといった、現実をいつわる議論(虚偽意識)がある。それは主流の憲法解釈論や、安保条約体制の限定的容認論にも影響する。むしろそのほうがリアリズムの議論だとさえいわれる。だがリアルではない。

 

5.おわりに―将来の可能性

 

 M+S+(独立した軍事大国化)は、日本と東アジアにとっての悪夢である。M-S-(アメリカの傘の下の小国的繁栄=吉田ドクトリン)は、多極化する東アジアで再現困難な戦略である。残る選択肢はM+S-(軍事同盟下の従属国家)と、M-S+(46年憲法の想定する軍事的主権を奪還した国家)である。M-S+は、軍事的消極主義であることとならび、従属的主権国家ではないこと。これを強調しすぎるということはない。

 しかし国家・社会が十分に平和主義的ではなく、しかも軍事的主権を奪還できていない状況で、日米同盟の脱軍事化は困難である。平和主義の側が第3の要因を浸透させることに成功することに、シナリオを現実化させる希望がかかっているのではないだろうか。