ロスアラモスで原爆はどのように語られてきたのか ―『はだしのゲン』上映と現地調査より

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「ロスアラモスで原爆はどのように語られてきたのか 

―『はだしのゲン』上映と現地調査より」―

 

関西大学

桝本智子

 

キーワード: 集合的記憶、歴史継承、マンハッタン計画

 

1.はじめに

 本報告では、原爆が製造された地であるニューメキシコでアニメ版の「はだしのゲン」を大学生が観賞後、歴史観や原爆に対してどのような認識を持ったのかを調査した結果を紹介する。この研究は、原爆に対する歴史認識を作り上げている集団的記憶の検証、そして、認識の違いを踏まえた上で次世代にどのように伝えていくのか、という点をテーマとしている。アメリカ、特に、マンハッタン計画の中心地となった街では原爆の製造が科学の成功物語として語り継がれている。また、歴史教育においても「原爆神話」が主体となっている。そして、時間の経過とともに、キノコ雲の下で起こったことは語られることもなく、メディアにより現実離れしたイメージのみが一人歩きをしている。そこで、若い世代である大学生が原爆に対してどのようなイメージを持っているのか、「はだしのゲン」を鑑賞した後に認識が変わるのか、などについて調査をした。

 

2.マンハッタン計画とアメリカでの原爆認識

 アメリカでは原爆投下直後のルーズベルト大統領のスピーチ、そして、ヘンリー・スティムソンの論文により、原爆の実情が知られる前から「原爆の投下により戦争が終結し、数百万の人々の命を救った」という認識がある(Boyer, 1996)。「もし、原爆がなければ、私はここにいない」という言説は頻繁に使われ、今も根強く社会に残っている。歴史の再解釈をしようとする動きは今までに何度かあったが、1990年代に起こったスミソニアン論争に見られるように、国家の歴史認識と集団的記憶を覆すには至っていない。

 原爆製造の地であるロスアラモスは現在でも先端科学の街であり、2015年にマンハッタン計画国立歴史公園に指定されている。この街にあるロスアラモス科学博物館では原爆製造の過程が展示されているが、その展示の最後にはトリニティサイトでの原爆実験の成功の写真が飾られている。原爆投下後については語られることない。

 

3.時代の変遷と「はだしのゲン」

 中沢啓治による「はだしのゲン」は、1980年代から英語をはじめとし、約20の言語に訳されてきた。アメリカでも何度か販売をされたが、商業的な成功には至らなかったという経緯がある。しかし、平和教育の一環として使用され続けたということ、ヨーロッパではドイツを中心に、権威への抵抗をするという原作の内容と原爆がドイツへ投下される可能性もあったということで支持をされてきた実績がある(Berndt、2007)。これは、国土が戦場となったイギリス、ヨーロッパ諸国と本土の被害を免れたアメリカとの違いもある。しかし、近年、アメリカの世界での位置づけが変わりつつあるということに加え、アフガニスタンやイラクでの化学兵器使用により核爆弾に対する脅威が再認識され、「はだしのゲン」が注目されている(NHK、2014)。

 

4.学生への調査

 若い世代の戦争認識と核の脅威を伝える手段を模索するため、2014年から2016年にかけてニューメキシコ大学のHonor’s Classにて調査を行った。合計33名の学生の協力のもと、「はだしのゲン」を観賞後に書いたリフレクションペーパーを分析した結果8つの共通する項目(①隠された歴史、②自分の家族の投影、③感情の認識、④子供の視線から見た戦争、⑤アニメの効果、⑥国民のアイデンティティ、⑦戦争に対する認識の変化、⑧ヒューマニティの表現)が確認された。

 予測されたように、原爆のキノコ雲の下で起こったことへの知識はほとんどない学生が多く、歴史教科書でも苦難の末の原爆開発とその投下により戦争が終わったという、短い描写のみの知識しか無い学生がほとんどであった。原爆に対しても数字と結び付ける傾向があった。また、冷戦時代やポピュラー・カルチャーからの印象が強く、残されたものの苦しみや差別などに関しては全く想像もしていなかった。しかし、主人公が少年であることから自分の家族と結びつけて感情移入をしやすいということが確認された。

 「原爆」というと世代にかかわらず、まず、「アメリカ人」としてのアイデンティティが強く認識される。それは調査対象の学生も同様であった。原爆を投下した「アメリカ」ということで、身構えてしまうことが多いようであるが、このアニメを見てそのように思ったのは物語の最初と観賞後に戦争一般について考える時のみであることがわかった。それよりも、戦争自体に対する主人公の怒りや悲しみの感情に共感することがわかった。そして、それが人類として何かできないか、何をすべきか、という模索へとつながっている。

 マンガというメディアの効果も学生のコメントから確認されている。実写よりも、より想像力をかき立てられるということ、感情の起伏がわかりやすいこと、観賞後の自分の複雑な感情の認識、が挙げられている。ホロコーストを描いた「マウス」の作者、スピーグルマン (Spiegelman, 2004)が指摘するように、中沢が描写する皮膚が垂れ下がった人々のイメージが脳裏から離れず、自分が経験したことのように感じさせるという力がこのアニメにはある、ということとも一致している。また、モーリス・スズキ(2004)が述べている、マンガというメディアはより広く、ドキュメンタリーや歴史の本を読まない層にも受けられる、という点に関しても学生のコメントと一致している。

 

5.次世代への歴史の継承

 集合的記憶は、様々な要素がからみあって自身の記憶としても内在化される。集合的記憶は国家が意図的に作り出すものも多くある。世代を超えて共感できるという利点もあるが、他者の記憶を取り入れることを困難にもする。

 想像力を広げるアニメという題材、より身近に感じられる子供の視点から家族の物語を捉えることで、国家の枠組みや「我々」「彼ら/彼女ら」という構図を超えた共感を呼び、それが人類として何かできることはないであろうか、という考えにつながることが確認できた。

 

参考文献

 Boyer, P. (1996). “Exotic Resonances: Hiroshima in American Memory.”  In Hogan, M.J. (Ed.). Hiroshima in History and Memory. 143-167. NY: Cambridge University Press, 1996.

 Berndt, J.  (2007). On the “Politics” of Reading Manga: Introduction to the Special Issue.  Manga Kenkyu. [Journal of Japan Society for Studies in Cartoon and Comics.] Nihon Manga Gakkai. Tokyo: Yumani-shobo. 128-134.

 モーリス・スズキ(2004). 「過去は死なないーメディア、歴史、記憶」田代泰子(訳).岩波書店.

 NHK. 「世界をかける“はだしのゲン”」http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3387_all.html.

 Spiegelman. A. (2004). “Comics after the Bomb.” Introduction to Barefoot Gen. vol.1. by Keiji Nakazawa. San Francisco. CA: Last Gasp.