憲法教育と平和教育―恵庭事件を例にー

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日本平和学会2017年度春季研究大会

分科会「平和教育」

 

憲法教育と平和教育―恵庭事件を例にー

北海道教育大学

前田輪音

 

 キーワード:憲法教育、主権者教育、平和教育、恵庭事件

 

はじめに 

 2015年以来、18歳選挙権実施にともない、政府主導で「主権者教育」が推進され、その教育内容・方法に関心が集まった。「政治的中立性」の名のもと有形・無形の圧力や、中央政府で対立する問題は扱わない傾向がみられ、またそれに抗する実践の取組の両者が存在した(前田2017)。主権者教育において平和の問題は重要な課題のはずだが、昨今その議論は決して多くはない。そもそも主権者のあり方は憲法にこそ求められるのだ。

 報告者は、『平和教育シリーズ7  平和教育学辞典』(平和教育学研究会編集/京都教育社会学研究室発行(2017年3月))で、項「憲法教育と平和教育」を担当する機会を得た。しかしながら、いまだに「平和教育」とは何か、その射程の範囲は、などを考えるとき、この言葉を用いることにためらいがある。しかしながら、この場を借りて、主権者を育てるための憲法教育における平和教育の内容・方法について、「恵庭事件」を鍵に若干の議論を試みたい。

 

2 当面の仮説 憲法教育における平和教育

 憲法教育は、たとえば「民主主義教育の柱の一つ。日本国憲法の精神・内容を教える教育をいう」(千葉卓1988)と表現される。この「日本国憲法の精神・内容」の一部を占めるのが「平和主義」ないしは「戦争放棄」「戦力不保持」(主に第9条・前文 以降“平和条項”)であり、憲法教育でこの平和条項を扱う際に平和教育とリンク・ないしは重なり合う、とする。

 教育には一般に、教える対象そのものを扱うことと、その教えた内容を生かし活用させる(方法を示す)という側面がある。同様に、憲法教育も、憲法の意義を教えることと、それを生かし平和な社会をいかに形成・実現するか(させるか)を教えることの両方が求められるし、従来の実践でもその必要性を意識したものは多々存在する。

 

3 憲法教育における平和教育の課題

 世界平和が実現されていない以上、日本国憲法の平和主義の理念は国内外において実現しているとは言いがたい。その状況下で、自衛隊や日米安全保障条約のもと米軍の存在、そして近年では安全保障法制の問題など、<平和条項>対<紛争・防衛組織の存在>という対抗図式に行きつく傾向が強い。そして自衛隊・安保が違憲か合憲を考え、武力によらない平和か武力による平和かで立場が分かれたままの場合が多い。これを考えること自体は意義あることだが、この対立のままで、平和条項の意義や平和な社会の形成の仕方を伝えられているか、懸念が残る。

 

4 平和主義の意義を知り平和な社会の形成の担い手を育てるための教育内容・構成

 ここで必要な視点として、「人権としてとらえる」ことと、歴史的経緯や国際比較などを踏まえて「動的にとらえる」ことをあげたい。

 憲法第12条では人権保持(獲得)のための不断の努力が求められており、憲法の知識とそれによる行動は表裏一体のものと捉え構成する必要がある。平和主義は人権と密接にかかわっており(後述)、平和を形成する主体、すなわち平和主義の理解・活用・実現する子どもを育成することが目標に掲げられるべきである。

(1)動的にとらえる

 憲法現象を動的にとらえることをめざした播磨の論・図(播磨2009)と、それを継承した脇田の論・図(脇田2016)をもとに、「平和主義」に焦点化して図1を作成した(後述)。

(2)人権としてとらえる

 平和を国家による政治の課題としてのみとらえる限り、自衛隊が第9条の「戦力」か否かで平行線をたどり、なかなか両者は交わらない。しかし「平和のうちに生存する権利」(前文)(「平和的生存権」)としてとらえるなら、国家に要求する権利・侵害されない権利として姿を変える。

 いわゆる「恵庭事件」(1962年起訴・1967年札幌地裁一審判決・確定)は、自衛隊の島松演習場に隣接する牧場の酪農民が度重なる甚大な演習被害に数々の抵抗・対応を重ね、その一つとして自衛隊の演習用通信線を切断し、そのことが「自衛隊法121条違反」として起訴された裁判である。弁護団は全国から480名にのぼり、多くの憲法学者や支援者が関わり、自衛隊(法)そのものが憲法違反として40回にわたる公判の約3分の2がその議論にあてられた。

 その過程で、平和を人権としてとらえはじめるに至った。この裁判で特別弁護人をつとめた憲法学者の深瀬忠一は、法廷等での議論・現地牧場や演習場の視察・支援活動等にふれ、その後に続いた長沼ナイキ基地訴訟の一連の流れを経て「平和的生存権」理論を提唱し、その定義を次のようにあらわしている。

 「戦争と軍備および戦争準備によって破壊されたり侵害ないし抑制されることなく、恐怖と欠乏を免かれて平和のうちに生存し、またそのように平和な国と世界をつくり出してゆくことのできる核時代の自然権的本質をもつ基本的人権であり、憲法前文、とくに第9条および第13条、また第三章諸条項が複合して保障している憲法上の基本的人権の総体である」(深瀬1984)

(3)「平和主義」の判例を人権に焦点をあてて動的にとらえる

 図1に戻り、「平和主義」を適宜、人権に置き換えて解説する。戦争では多くの命が奪われ人権が侵害される(A)。その戦争の惨禍から戦争を違法化・否定する理念が国内外に生まれ(B)、憲法や国連憲章等でそれを制定する(C)。この“A→C”のプロセスは近現代史における戦争の違法化への流れとも言える。これは、「歴史的経緯」や「国際比較」の視点ともいえる。

 規範化された段階(C)以降、なお生ずる平和とは言い難い諸事実(A´)が発生し、それに抗して平和主義(平和的生存権)を実現(D)させようとする“A´→D”の間にある諸事実は、紛争を解決しようとする国連や関係諸国そしてNPOなどの人々、憲法裁判で平和を獲得しようとする当事者や支援者など、国内外の様々な活動に見いだされる。ここにも「歴史的経緯」が見て取れる。また、この動きのなかで、“A→C”のプロセスも再確認される。

 この“A´→D”の過程に存在する様々な諸事実の精選と内容の再構成が憲法教育に求められる。ここに、「恵庭事件」を取り巻く諸事実をあてはめ、育てたい主権者像を示しながら報告を試みたい。

 

【参考文献】

 深瀬忠一(1987)『戦争放棄と平和的生存権』岩波書店。

 播磨信義「これまでの憲法教育の問題点」播磨・上脇他編著(2009)『新・どうなっている!?日本国憲法[第2版]憲法と社会を考える』

 前田輪音「一八歳選挙権と主権者教育-教育行政・実践・学術界・報道を垣間見る」民主主義教育研究会編(2017)『民主主義教育21』№11

 千葉卓「憲法教育」青木一、大槻健他編(1988)『現代教育学事典』旬報社

 脇田吉隆「これから憲法を学習するみなさんへ」播磨信義・上脇博之他編著(2016)『新・どうなっている!?日本国憲法[第3版]憲法と社会を考える』法律文化社