規範普及の地域政治 ─東アジアにおける反人身売買対策を事例として─

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規範普及の地域政治

─東アジアにおける反人身売買対策を事例として─

 

東北大学

中村文子

 

キーワード:人身売買、国家アイデンティティ、規範普及、地域主義、安全保障化

 

1.はじめに

 東アジアの地域主義をめぐる議論は、歴史認識問題や領土問題、貿易・経済市場の地域統合などの問題が中心であった。それに対して、近年では、環境汚染や人身売買といった非伝統的な安全保障問題に対処するために、地域レベルで新たな政府間協力および社会的交流を生み出した。1998年の東アジア酸性雨モニタリングネットワーク(EANET)や、2009年に日本で打ち出された北東アジアにおける人身売買の国際的な協力をより強化するための「人身取引対策行動計画」等が、その例としてあげられる。市民社会と政府の間で、トランスナショナル・ネットワークが登場し、国境を超えた協力が形成されてきた。本報告では、北東アジア(日本、中国、韓国)における性的搾取を目的とした人身売買に対する政府の対応に焦点を当てる。北東アジアの人身売買をめぐる地域協力の現状を考察するために、日中韓の3ヵ国における人身売買をめぐる「安全保障化(securitization)」を重要な説明変数とする。各国政府が人身売買にどのような問題意識を持つことで、どのような対処策を推進しているのか。北東アジア地域の各国政府が異なる問題認識を有し、対処策を採用していることから、人道売買対策における地域内協力が推進されたり停滞したりするのかを検証する。

 

2.安全保障化の定義と課題

 国際安全保障論におけるコペンハーゲン学派によれば、安全保障化は伝統的安全保障か否かに限らず、あるアクター(とくに政治エリート)によって、これまで安全保障の問題としてみなされていなかった問題を脅威とみなし、それが受け手によって受容されるプロセスである(Barry et al, 1998)。したがって、国家・社会によって安全保障の内容は変わる。それに対して、近年の研究は、コペンハーゲン学派はあくまで政治エリートの発話に着目するため、その政治エリートの強制的措置が誰の指示によるものなのか、安全保障化がどの時点で行われるのか、写真など発話以外の手段もあるのか等、問題点が指摘されている(McDonald, 2008)。

 

3.人身売買の定義と現状

 2000年に国連国際組織犯罪防止条約の選択議定書として採択された人身取引議定書において、人身売買が定義された。人身売買における搾取の目的は、強制労働、性的搾取、臓器摘出などさまざまである。人身売買においては、被害者を暴力、脅迫、誘拐、詐欺などによって被害者を支配下に置き。獲得、輸送、引き渡し、蔵匿、収受などの行為が伴う。

 人身売買の被害者数は、調査機関によって様々であるが、米国国務省が刊行している年次報告書『Trafficking in Persons Report』によれば、約60万人から約80万人に及ぶとされる。また、国連薬物犯罪事務所(UNODC)によれば、人身売買のうち約53%が性的搾取を目的とするものであり、人身売買の被害者の約7割が女性と女児である。

 

4.規範普及・安全保障化と地域主義の関係

(1)規範普及と地域主義

 国際関係論において規範普及のメカニズムは、国境を越えた人権アドボカシー・ネットワークの増加による国内政策の変化の促進など、非国家主体がその役割を担っていると考えられている。社会構成主義者は、国家の態度(behavior)に基づく因果的信念(causal beliefs)のインパクトを強調し、国家のアイデンティティを変化させる結果としての政策変化を示している。したがって、国家の態度に基づくアイデンティティと規範との因果関係を強調する。それゆえ、国家のアイデンティティは、政策選択において間主観的であり、変化する傾向がある。M. フィネモアとK. シキンクによる規範の「ライフサイクルモデル」によれば、国家と非国家主体がアドボカシー・ネットワーク(Keck and Sikkink, 1998)を通して深淵を共有しており、これは国境を越えて政策変化を促進するものである。ほかに、ブーメラン・モデルや螺線モデル(spiral model)といったモデルは、規範が国際的あるいは地域的レベルにおいて普及することを説明する(Risse et al, 2013)。たとえば、T. リッセ等は、「ヨーロッパ化」の規範普及において、高い人権基準が履行されたと述べている。EU地域では、加盟国政府、NGO関係者などを対象に情報交換や調査研究をはじめとする連携強化が促され、Daphne Programといった、女性や子どもに対する暴力を撲滅するためのプログラムが実行されている。EUでは、ボトムアップのキャパシティ・ビルディングが成功している(Locher, 2007)。また、EUは、規範がグローバルレベルから国内レベルへと普及するプロセスにおいて、仲介者の役割を果たし、地域機構が果たす機能にとって重要な例となっている。

 社会構築主義者は、グローバル規範がどのようにローカルな文化的習慣と影響しあうのかについて十分に説明していない。政治学者のA. アチャリヤ(2004)は、このように指摘する。また、政治学者のイグナティエフ(2001)は、グローバルな規範がローカルなレベルにまで普及するとき、現地の伝統的生活習慣が否定され、現地において西洋的文化が支配的になると受け取られると述べている。アチャリヤは、国際的な規範がローカルなレベルに普及することによって、グローバルな規範と現地の規範と衝突し、規範普及が必ずしも成功しないと主張している。

 地域主義(regionalism)は、政治学者T. J. ペンペルによれば、政府等国家レベルによるトップダウンの地域統合である。一方、地域化(regionalization)は、労働者の移動や旅行など国家に依らない人の移動等によって生じるボトムアップの地域統合である。人身売買は人が強制的に、あるいは詐欺によって連れて行かれるいわゆる負の人の移動であり、「負の地域化」ということができる。それに対し、政府間協力による介入が必要となってくる。アジアでは、とくにASEANにおいて脱植民地化を経験した主権国家は、国内への介入を否定する。また、地域内においては民主主義体制や一党支配体制といった政治体制の差異が存在するが、各国における市民社会の成熟レベルの差異などによって、人権問題をめぐる協力関係の進展も異なる(Baik, 2012)。

 

(2)安全保障化と地域協力

 ヨーロッパにおける人身売買を研究しているC. アラダウによれば、人身売買がどのように「安全保障化」されるかによって政策選択が異なるという。たとえば、人身売買を移民の問題、売買春の問題、組織犯罪の問題、あるいは人権侵害の問題として捉えるかによって、ヨーロッパでの人身売買をめぐる言説(discourse)が異なる。それゆえ、各国政府は、国内の世論によって語られる言説によって、または、被害者や加害者が世論にどのように語られるかによって対応することになる。

 アラダウは、人身売買の語られ方によって、以下の4つの異なる「安全保障化」の形態を示している。すなわち、人身売買を①移民の問題として捉える。その結果、より厳格な国境管理をめぐる議論がもたらされる。②売春の問題として捉える。その結果、売春の規制と被害者保護に関する国内の議論が引き出される。③組織犯罪として捉える。その結果、組織犯罪を取り締まるために、より厳格な法律の履行や訴追が追求される。④人権侵害問題として捉える。その結果、人権保障のためのグローバル規範の履行について議論される。しかし、人身売買は越境犯罪であり、取締りや被害者保護について近隣諸国の協力関係が必要不可欠になるが、アラダウの議論では、地域における国家間協力について論じていない。本報告では、このような問題を踏まえながら、アラダウの議論を東アジアの国家間協力の文脈に適用して論じることにしたい。

 

5.北東アジアにおける人身売買:国家による対策

(1)中国

 中国では、大規模な組織犯罪のシンジケートが存在し、その組織犯罪グループによって、中国の農村地域から北京や上海といった都市部へ子どもや女性が売られている。中国政府は、組織犯罪グループの摘発に力を入れており、2012年には802人の容疑者を逮捕している。2010年に人身取引議定書を批准したが、同議定書の加盟国が、国際司法裁判所や仲裁裁判所に紛争を付託する条項には留保を付している。中国政府は、人身売買を規制し、法律上禁止しているが、法の執行が十分とは言えず、犯罪組織等と警察との癒着も問題となっている。

 

(2)韓国

 韓国は、人身売買を売春の問題として捉える傾向にある。2015年に人身取引議定書を批准している。米国国務省の『Trafficking in Persons Report』によるnaming and shamingの結果として、また、人身売買をジェンダーと人権をめぐる対話を必要とする問題へと波及したことにより、性的虐待やドメスティックバイオレンス、人身売買被害者保護などに特化した省庁を新設し、女性の保護をめぐる国家と市民社会との連携をより向上させた。さらに、韓国政府は、売春を禁止する法律も制定した。

 

(3)日本

 日本は、人身売買を入国管理の犯罪として捉える傾向にある。人身売買議定書は、まだ批准していないが、2004年、2009年、2014年の人身取引行動計画では、入国許可についてより厳格にするなど国境管理を人身売買の手段としている。また、日本の領事館では、ビザ発給申請書に人身売買の被害者か否かといった設問を設け、必要な場合には、個人面談をして被害者かどうかを確認し、被害者となりうる場合には、ビザを発給しない等の対策を講じている。

 

6.結論

 以上のことから、中国では人身売買を組織犯罪、韓国は売春、日本は入国管理の問題としておおむね捉えているとみることができる。それゆえ、三か国では「安全保障化」の形態が異なることから、人身売買への対応や政策も異なることがわかる。北東アジアでは、人身売買を地域で共通に取り組む問題として十分に議論しておらず、人身売買に対する共通の安全保障認識が未成熟であることから、国家を超えた協力関係を構築することが困難である。

 

 

参考文献

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