憲法上、個別的自衛権の行使が認められるだけで、集団的自衛権の行使は容認されない。政府はこう言ってきました(旧3要件)し、法制度はこの解釈を前提につくられてきました。ところが2014年7月1日の閣議決定は、集団的自衛権の行使も憲法上容認されると、正反対の解釈に改めました(新3要件)。安保法案はこの新3要件に基づいています。このように重大な問題で、政府は憲法解釈を完全に変更できるのでしょうか。
政府がいう根拠はおもに二つです。一つは砂川事件の最高裁判決(1959年12月16日)をあげて「裁判所は(集団的自衛権を含めた)自衛権の行使を認めてきた」という説明です。しかしこの事件の争点は旧・安保条約の違憲性でした。そして判決は、日本の平和と安全を維持するためにふさわしい手段をとることは禁じられていないと述べたにすぎません。「個別的自衛権を容認したが、集団的自衛権については語っていない」と理解されてきた砂川判決を、集団的自衛権容認の理由につかうことはできません。
もう一つは、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増したことを理由に、集団的自衛権の行使が正当化されるようになったというものです。ですが環境が変化しただけで、憲法の意味が変わることはありません。もしそれを許せば、立憲主義(憲法によって国家権力を拘束すること)は骨抜きにされてしまいます。さらに国民投票を経ずに憲法の意味を変えることは、憲法改正国民投票権(憲法96条)の侵害にもあたります。
「環境が大きく変わったとき、必要なら憲法解釈は変更してよい」という少し乱暴な主張があります。かりにそうだとして、ではほんとうに「安全保障環境が厳しさを増した」でしょうか。むしろ、国家にとって「戦争をやりにくい時代」になり(グローバル社会化)、環境は逆方向に変化したともいえます。またわたしたちには、集団的自衛権という選択肢しかないのではありません。いうまでもなく、非軍事的手段で平和な国家間関係を維持するという選択肢があり、それを優先するべきで、しかもこの努力は不足しています。けっきょく、環境の変化、変更の必要性のいずれも説得的ではないのです。
3要件の変更は憲法的に正当化できないと結論することができます。
なお個別的自衛権のための実力保持は、戦力不保持条項(9条2項)に反するおそれがあります。じっさい多くの憲法研究者は(個別的自衛権行使の手段としての)自衛隊の憲法適合性を疑っています。この立場からすると、そもそも旧3要件の合憲性すらが疑わしく、新3要件に基づく安保法は当然に違憲となります。
(永山茂樹)
参考文献
市川玲子・新原昭治『砂川事件と田中最高裁長官』(日本評論社)2013年。
浦田一郎「集団的自衛権容認の根拠論と自衛隊法・武力攻撃事態法改正案」(別冊法学セミナー「安保関連法総批判」)2015年。