今回の安保法制の議論では、平時から有事にいたるまで日本の安全保障政策は、「切れ目のない対応」をすることが前提とされており、個別的自衛権で対応可能な事態以上に、集団的自衛権の行使が問題となっています。集団的自衛権の行使が可能になると、それにともなって、国民の「協力」も、政府の要請にしたがって求められることになります。
現在、政府は、「後方支援」(論点41参照)は、武力行使と一体化するものではなく、現行憲法の枠組みの範囲のなかで、十分に可能な取り組みだとしています。実際には、これらの活動に、民間の航空会社や海運会社などの協力を求めることもあり得ます。また、後方支援を断つことが、軍事作戦上、有効な手段であることから、アメリカとの交戦国から、日本に対する直接攻撃が起こりうることも考えられます。では、このとき、住民たちの生命はどのようになるのでしょうか。
今回の法案が可決されれば、以上で見てきたように、日本が攻撃を受ける可能性が高まるにもかかわらず、国会では、国民保護計画を見直すといった議論はなされていません。国民保護計画とは、2004年に成立した国民保護法に基づき、外部からの武力攻撃事態などの場合に、住民を保護するために都道府県・市町村が策定しなければならない計画のことです。
実際に、「存立危機事態」は、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」により日本の存立が脅かされ、国民の生命等が根底から覆される明白な危険がある事態とされ、集団的自衛権の行使により、国民の生命が危険にさらされることを、安保法制は現に認めています。では、日本の中で、実際に攻撃を受けそうなところはどこでしょうか。例えば、米軍基地や自衛隊基地、人口密集地、原発、石油コンビナートなど、国民の生命を脅かすのに交戦国(または武装集団)が効果的と判断する地点が狙われるでしょう。しかし、これまでの国会の議論を聞く限り、原発に対する武力攻撃事態は想定されていないことが明らかになりました。実際、政府の示した安保法制の全体像を見ると、武力行使を行う場合、どのような「歯止め」がかけられるのかに関する議論が主であり、それに伴って高まる国民の生命の危険に対する議論は、ほとんどなされていません。
国民保護法の制定の際に、自治体や関係機関から指摘された点は、有事の際の国民避難計画は、果たして計画通りに進めることができるのか。武力行使が行われている最中に、自衛隊の部隊に避難住民の誘導を要請することは現実的なのか。武力攻撃が行われれば、自治体が管轄する港湾施設、病院、その他の施設は、米軍や自衛隊に「優先的に」供用され、国民保護は後回しにされるのではないか。基本的人権の尊重や国民の権利が損なわれた場合の救済措置は、果たして可能なのか、などといった点でした。
実際に、国民保護法が制定された後、鳥取県が、2003年7月に図上訓練を行ったとき、県東部の住民約2万6千人を、県中部や兵庫県にバスで避難させるのに、11日かかるという結果がでました。東京都国立市のシミュレーションでは、弾道ミサイル攻撃を想定し、障がい者や高齢者などの避難弱者、約2200人の住民を市内に避難させるだけで26時間かかるという結果でした。当然、武力攻撃が行われれば、生活道路は、米軍や自衛隊が封鎖することが考えられるため、実際にはもっと時間がかかり、計画通りに避難を進めることは困難でしょう。ここでも、民間の交通会社の協力が不可欠です。
そして、非戦闘員である民間人であっても、実際の戦争ともなれば、第2次世界大戦の時のように、「国家総動員体制」によって、「国民」の協力が、半ば、強制的に行われるような事態に陥るかもしれません。現に、今の自民党議員のなかには、「戦争には行きたくない」といって、安保法制の制定に反対する若者たちを「自己中心的」であるといって非難する者もいます。
個別的自衛権の行使までを日本国憲法は否定しないとしても、集団的自衛権によって、アメリカと一体となった武力行使を容認する安保法制を成立させることが、日本の安全を高めることにつながるわけではありません。外交努力によって、近隣諸国との関係を良好にしておくことこそが、私たち1人ひとりの安全を守ることにつながるのです。(池尾靖志)
参考文献
・全国防衛協会連合会編『あなたと街を守るために—国民保護のマニュアル—』原書房、2006年。
・池尾靖志『自治体の平和力』岩波ブックレット、2012年。