今般の安保法制への批判は、大まかに言って2点ありますが、いずれも、ナチスの歴史から汲み取るべき教訓は小さくありません。
まず、集団的自衛権の行使に相当する立法をなしたいのであれば、まずは憲法を改定し、その上で今次のような立法を図るべきだという立憲主義の立場からの批判があります。この問題を考えるうえで、2013年7月29日、麻生太郎副総理による「ある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうかね」という発言は、非常に示唆的です。
実際にはナチス憲法というものは存在しませんが、1933年3月24日の全権委任法によって、ワイマール憲法は事実上効力を失いました。なぜなら同法の第2条は、「政府が議決した法律は、憲法に違反できる」と定めていたからです。ナチスはそれまで大統領の権威を楯に、出版・集会の自由を制限し、さらに基本権すら停止していましたが、全権委任法は、444対94という圧倒的多数により国会で承認されたのです(既に共産党が非合法化されていたため、反対したのは社会民主党だけでした)。
国家安全保障会議(日本版NSC)設置法、特定秘密保護法、国家安全保障戦略、防衛装備移転三原則、集団的自衛権の行使容認、そして安保法制と、安倍政権の一連の政治は、「閣議決定は憲法に違反できる」と言わんばかりのものです。また、安保法案に盛り込まれた、集団的自衛権を行使する際の前提である「存立危機事態」「重要影響事態」の認定も、時の政権の恣意性に委ねられており、独裁政治の助長を意味しています。6月4 日、衆議院憲法審査会で、3人の憲法学者が、与党推薦者も含め全員、安保法案を「憲法違反」と明言したことを歯牙にもかけない姿勢は、法的安定性という近代政治の基本原則からの背馳を端的に示しています。
安保法制への今一つの批判は、仮に手続き上の問題をクリアしたとして、集団的自衛権の行使容認へと踏み切ることが、そもそも日本の安全保障や国際的な平和に貢献するのかというものです。
ヒトラーは政権発足当初から軍事化政策を推進したにもかかわらず、表向きは「平和演説」を行って、国内外の世論を欺こうとしました。1933年5月17日の「平和演説」でヒトラーは、「新しい欧州戦争が、今日の不満足な状況に代わって何かより良いものをあてがうわけではない」とか「際限なき狂気の勃発は、今日の社会・国家秩序の破滅だ」と、一見真っ当なことを述べています。また、ヴェルサイユ条約に違反して再軍備を強行した後の1935年5月21日の「平和演説」でも、「ナチス=ドイツは心の底からの世界観的確信から平和を欲する」とうそぶいています。
もともと、ヒトラーは著書『我が闘争』で、国民大衆は「心情の単純な愚鈍さからして、小さなうそよりも大きなうその犠牲となりやすい」(第I部第10章)と高言していました。「戦争は平和である」(ジョージ・オーウェル『1984年』)というような二重思考を強いる「大きなうそ」は、今日の日本の文脈ではさしずめ、軍事一辺倒の「積極的平和主義」と言えましょう。
改めて麻生発言に戻ると、麻生氏は後に発言を撤回したとはいえ、そもそも「ナチスの手口」を模範とするという発想自体、ファシズム・軍国主義を否定した第二次世界大戦後の国際秩序に対する根本的な挑戦だということを銘記する必要があります。その意味で、安保法制の成立は、東アジアだけでなく、世界の平和にとって重大な阻害要因になります。(木戸衛一)
参考文献
木村朗・前田朗(編著)『21世紀のグローバル・ファシズム』(耕文社、2013年)
石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書、2015年)
池田浩士『ヴァイマル憲法とヒトラー』(岩波書店、2015年)