大会テーマ「平和研究の役割:分断の構造の追究と紐帯の追求」
2019年 6 月22日(土)・23日(日)
会場:福島大学
開催趣旨
2019年、日本の「平和」は危機に直面している。安倍政権は2020年の改憲を強行する構えで、積極的平和を目標としてきた日本国憲法の平和主義は否定されかねない状況だ。人の権利・自由を守るために憲法で国家の統治権力を縛るという立憲主義が根源的な挑戦を受け、人の権利・自由への制約が強まるなか、人と人がつながり国家権力に対峙しようとする試みは存在するが、大きな影響力を行使しているとは言いがたい。「ポスト真実」のことばに象徴されるように、人の権利・自由が不可視化されたり、歪曲されたりしているためである。なにが真実・真理なのかわからない不安のなか、人びとや社会は分断されている。
人びとの社会の分断は、あらゆるところで起きている。たとえば、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染や被曝をめぐって、もしくは沖縄県辺野古基地建設への賛否を問われて、さまざまな「当事者」は困難な選択を迫られ、これによって生まれた分断・軋轢に苦しめられるようになった。加えて、韓国「慰安婦」「徴用工」問題などでみられるように、急速に拡大する差別や偏見は、人が権利・自由を求めて声を上げることを困難にしている。
このような分断は、日本だけでみられるものではない。ヨーロッパでもアメリカでも、移民・難民排斥、ムスリム・黒人差別は深刻な問題だ。自己責任論や福祉排外主義など、マイノリティや弱者に「暴力的」な主張が蔓延し、ポピュリスト的な政治家への支持が高まっている。
平和を追求する取り組みすらもが批判にさらされている世界の現状に、平和研究者はどう向き合っていけばいいのだろうか。平和研究者として果たすべき役割と責務はなんだろうか。2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故後はじめて福島で開催される2019年春季研究大会では、「当事者」もしくは「被害者」に寄り添った視点から、なにが問題なのかその構造を見据えたうえで、「分断」を乗り越え、「紐帯」を実現する方策を、参加者とともに模索したい。
第23期企画委員長 佐伯奈津子
6月22日(土)
9:30-12:00
部会1(3・11プロジェクト委員会企画)
核被害認定をめぐる歴史的・政治的背景
74年前に原爆によって被爆した広島・長崎の被爆者、そして65年前のビキニ水爆実験による被災者による核被害認定を巡る訴訟は、いまなお現在進行中である。核実験による被災者であるセミパラチンスクやマーシャル諸島の被害者も、実態が解明され援護されている状態とはいえない。
8年前から被害を受けている東京電力福島第一原発事故の被災者も、いわゆる「風評」言説によって、実際にはさまざまな被害に遭いながら、被害を訴えることが困難な状況にある。そうしたなかで裁判が被災者・支援者によって実施されている。
そのいっぽうで、歴史的・政治的状況から共通して言えることは、被害の訴えをとりやめさせ、忘却を望んでいるのは、核被災を生み出した側である。本部会では、その流れに抗い、核被害認定を支えるための平和研究の可能性について議論したい。
報告:
湯浅正恵(広島市立大学)
竹峰誠一郎(明星大学)
「世界の核被害者に対する援助措置――広島・長崎、マーシャル諸島、セミパラチンスクの相互比較」
平井朗(立教大学)
「「風評」言説に抗う〜測る、発信する、裁判をたたかう人びと〜」
討論:島薗進(上智大学)
討論:徳永恵美香(大阪大学)
司会:高橋博子(名古屋大学)
9:30-12:00
部会2(国際交流委員会企画)
日中平和学対話報告 東アジア新時代の展望:日中平和学の可能性
当部会の主旨は、2019年2月に、立命館大学大阪いばらきキャンパスを会場に開催された「第3回日中平和学対話」の報告である。テーマを「東アジア新時代の展望:日中平和学の可能性」とし、2月21日(木)~22日(金)に丸2日間の会議を、そして23日には京都へのフィールドトリップを実施した。その間、参加者は原則、立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)セミナーハウスにて宿泊、OICカフェテリアにて食事し、会議の場以外においても懇親した。基調講演として米国・コーネル大学から酒井直樹氏を招聘、会議1日目午前は講演をもとにワークショップ形式で参加者が相互理解を深めた。会議1日目午後からは、半日ずつつかって、第1分科会「日本の歴史修正主義の問題について」、第2分科会「東アジアの現状認識・朝鮮半島の新しい動きにどうアプローチするか」、第3分科会「平和学のディシプリンについて」と題し、ワークシップ形式で日中間の対話を深めた。6月の福島での報告部会では、これらの対話がどう深化・展開したかを報告したい。また、各発題者の簡便な報告につづいて、会議参加者数名、また本主旨に関心を寄せる学会会員が一緒になって、さらに対話を重ねてみたい。
報告:佐々木寛(新潟国際情報大学)
報告:君島東彦(立命館大学)
「思想的実践的課題としての東アジアの平和――分断構造から水平的ネットワークへ――」
報告:加治宏基(愛知大学)
「「日中平和学の可能性」に関する一考察――第1分科会「日本の歴史修正主義の問題について」をふまえて――」
ほか「日中平和学対話」参加者数名
ファシリテーター:奥本京子(大阪女学院大学)
12:00-12:30 昼休み
12:30-14:00 分科会
14:10-15:00 総会
15:10-17:40
部会3(開催校企画)
福島からみた原子力災害からの復興の現状と課題
2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故は、深刻な被害を福島県にもたらした。同原発から放出された大量の放射性物質は、人びとの生活圏を含む生態系を広範囲にわたって汚染し、県内外に避難した人びとは自主避難者を含めてピーク時に16万人におよんだ。放射線被曝の不安が地域社会に暗い影を落とし、人びとの心の平穏を脅かした。また、この放射能汚染は農業や漁業といった福島県の基幹産業に大きな打撃を与え、多くの人びとから生業を奪った。県外では避難者への差別や県産物の忌避などの問題が顕在化した。このような平和ならざる状況は様々な立場の人びとに難しい選択を迫り、そのことが個々人の社会的ネットワークや地域社会の内部で軋轢を生む一因にもなった。福島原発事故から8年が経過したものの、福島県の復興は道半ばであり、被災者の生活再建や地域社会の再生、新たな産業の振興、地域を担う人材の育成、心の平穏の回復といった多くの課題が残されている。
こうした福島県の現状と課題に平和研究者はどう向き合ったらよいのだろうか。その解決のために平和研究にできることはなんだろうか。このような問題意識から、本部会では開催校の3人の研究者を報告者として招き、それぞれの専門分野である社会学、国際関係論、憲法哲学の視点から、福島県における原発災害からの復興の現状と課題について報告していただく。各報告や討論者のコメント、フロアとの質疑応答を通じて、参加者が福島県の現状や課題に対する理解を深め、未曽有の原発災害を経験した日本における平和研究の可能性と役割について考える機会としたい。
報告:
深谷直弘(福島大学)
「東日本大震災・福島原発事故の記憶を残す活動の特徴とその意味(仮)」
吉高神明(福島大学)
金井光生(福島大学)
討論:鴫原敦子(東北大学)
討論:上野友也(岐阜大学)
司会:西﨑伸子(福島大学)
15:10-17:40
部会4
ワークショップ(平和教育プロジェクト委員会企画)
トレーナーズトレーニング やり⇔とり力を育てる:キーワードから考える当事者性
福島で起きたことについて語るとき、よく使われる「寄り添う」という言葉。「寄り添う」という一見優しさや共感性をもつ言葉のなかに、どこか他人事という感覚はないだろうか。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、地域の人びとの生活を一変させ、わたしたちが原発問題についての当事者として立たざるを得ない現実を表層化させた。にもかかわらず、教育現場で、そのことを考える機会は稀で、関連する報道も少ない。さまざまな問題が、人びとが、置き去りにされ、不可視化されている。ここにも分断の構図がある。見ないで過ごすことが容易い状況のなかで、その分断をつなぎ合わせていくにはどうしたらいいのか。
平和教育プロジェクト委員会23期では、「やりとりする力を鍛える」ということを大テーマとしている。今回は、当事者性をテーマとして、いつごろから「原発」というワードを話さなくなった?話せなくなった?という、身近な問いからはじめ、いくつかのキーワードから福島で起きていることに対して、自分はどんな当事者かを考え、表現し、語り交わす機会をつくりたい。問題を自分事として受け止め、相手の当事者性と自分の当事者性を考え、伝えあい、感じ合う、「やり⇔とり」を試みる。
また、平和教育の内容を評価することは困難だといわれているが、今回はアクション・リサーチを試みたい。現場の課題を克服するため、調査者と実践者が互いに協働し、実践と評価を繰り返す過程であるアクション・リサーチは、平和教育プロジェクト委員会の内容を豊かにしていくと考える。研究の結果は、平和学会のウェブサイトなどで報告したい。
ファシリテーター:奥本京子(大阪女学院大学)、笠井綾(宮崎国際大学)、高部優子(横浜国立大学大学院)、暉峻僚三(川崎市平和館)、中原澪佳(新潟大学大学院)、松井ケティ(清泉女子大学)、ロニー・アレキサンダー(神戸大学)
リサーチャー:杉田明宏(大東文化大学)、鈴木晶(横浜サイエンスフロンティア高校)、堀芳枝(獨協大学)、山根和代(平和のための博物館国際ネットワーク)
18:00-20:00 懇親会
6月23日(日)
9:30-12:00
部会5(企画委員会企画)
「被害者」に寄り添う:分断を乗り越えるための「想像力」
世界のいたるところで排外主義の台頭、差別やヘイトの増幅が深刻である。グローバル化によって加速した競争社会によって、生きにくさや閉塞感に脅かされるようになった人びとは、しばしば不安の原因をマイノリティや社会的弱者に求めるようになる。自己責任論や福祉排外主義など、マイノリティや弱者に「暴力的」な主張が一定程度の支持を得て、人びとや社会は分断されている。
本部会では、こうした現状を踏まえ、水俣、沖縄、アイヌという異なるイシューに通底する差別やヘイトの構造を明らかにする。差別やヘイトの対象となりうる「被害者」に寄り添う研究、活動をつづけてきた報告者3人の経験を踏まえ、分断を乗り越え、人と人が再びつながるため、知的な営みとしての「想像力」について考える。
報告:
谷 由布(水俣病協働センター)
親川裕子(沖縄大学地域研究所特別研究員)
「マイノリティ女性、複合差別と沖縄――無国籍児問題から――」
石原真衣(北海道大学文学研究科専門研究員)
「リミナーズが経験する分断――つながりの創造と痛みへの想像」
討論:塩原良和(慶応義塾大学)
司会:佐伯奈津子(名古屋学院大学)
9:30-12:00
自由論題部会1(パッケージ企画)
移行期正義・ポスト移行期正義・民主主義:正義を求め続ける動きと政治
過去に内戦や権威主義体制下において人権侵害が行われた社会は、どのようにして真実や正義を求めてきたのであろうか。体制移行期や内戦後の社会において、過去の人権侵害の真実を明らかにし、正義を求める動きは、移行期正義と呼ばれ、各国において様々な取り組みが見られるようになった。移行期正義に関する研究については、移行期正義の取り組みを踏まえ、学際的な発展が進められてきた。このパネル報告では、これまでの移行期正義実践の取り組みと発展の経緯について検討し、移行期正義研究の系譜を概観するととともに、移行期正義及びポスト移行期正義の方策についてラテンアメリカと東南アジアにおける具体的事例を比較検討していきたい。
民主化移行期の真実と正義の追求については、軍部への政治的配慮から、文民政府下での公的な真実委員会の設置と真実究明、人権侵害に対する裁判の実施については、その国独自の諸事情が反映されてきた。民主化定着後のポスト体制移行期になり、国際環境や政治状況の変化とともに、過去の人権侵害についての範囲を拡大した調査や裁判が行われた事例もある。また、国によっては、歴史的な正義を求める動きもみられるようになった。
報告:
杉山知子(愛知学院大学)
「移行期正義をめぐる研究の変遷と平和研究の観点からみる研究課題」
内田みどり(和歌山大学)
「ポスト移行期正義に停滞する正義:チリとウルグアイの事例から」
クロス京子(京都産業大学)
討論:松野明久(大阪大学)
司会:二村まどか(法政大学)
12:00-12:30 昼休み
12:30-14:00 分科会
14:10-16:40
部会6(企画委員会企画)
核と原子力が照らしだす科学者の社会的責任(仮)
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、その周辺に甚大な被害を引き起こした。しかしそれは孤立した出来事ではなく、広島・長崎の原爆体験に通底するものであった。そしてそれは今日における科学と科学者のあり方を根底から問うものとなっている。本部会では、広島・長崎から福島へとつながる核と原子力の構造を、日本における第二次世界大戦中の原子爆弾開発計画と戦後の原子力開発のなかに探り、核と原子力の構造にまとわりつく科学者と軍事研究の問題を今日的な観点から検討していきたい。原子核物理学の基礎研究と原子爆弾開発計画とのつながり、原子爆弾開発計画と戦後の原子力開発における連続と非連続をふまえ、そこで科学者や技術者が何を考え、どのように行動したかに注目しつつ、今日における科学者と軍事研究の問題を考えてみたい。核と原子力の構造が照らしだす科学者の社会的責任を考える部会としたい。
報告:
政池明(京都大学名誉教授)
山崎正勝(東京工業大学名誉教授)
池内了(総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授)
討論:中尾麻伊香(長崎大学原爆後障害医療研究所)
司会:内藤酬(河合塾)
14:10-16:40
部会7(3・11プロジェクト委員会企画)
原発被災における低認知被災地をめぐる市民の動き
そこが「被災地」であるかどうかを巡る認識の相違は、その地域に暮らす人びとの当事者意識とそれにもとづく行動に決定的な影響を与える。実際その認識は地域の市民運動にも大きな影響を与えてきた。今回の原発被災の場合、被災地の放射線濃度はまだらなグラデーションであり、ことにその線量がこれまでの年月のなかで「大きく低減した」「許容範囲に収まった」とみられている地域においては、その認知の度合いによって、当事者意識には大きな隔たりがうまれることとなる。大別すればそれは、①一貫して「被災地ではない」とみなす場合、②途中で「被災地ではなくなった」と考える場合、③途中で「被災地だったのだ」と気づいた場合、④一貫して「被災地である」という認識を変えていない場合、に分けられるといえよう。そして当然、それらのあいだで揺れ動き、自身の内部に葛藤を抱えている例もある。
そんな多様な当事者意識は、とくに原発被災地と社会的に見なされにくい、いわゆる福島県以外の低認知被災地における市民運動の芽生えとその後に大きな影響を与えた。本部会では、3・11後の低認知被災地として栃木と茨城を中心に取り上げ、宮城などの状況にも触れながら、被災の認知をめぐるたたかいと葛藤について、各地で芽生えた市民グループのその後を通じて明らかにし、構造的暴力の克服のための営みとその課題について議論する。
報告:
蓮井誠一郎(茨城大学)
「『3・11』プロジェクトの歩みと低認知被災地での活動展開の意義」
清水奈名子(宇都宮大学)
「原発事故後の権利回復を目指す市民活動――栃木県の事例から」
原口弥生(茨城大学)
「低認知被災地における長期的な市民調査の意義と課題――茨城県の事例を中心に」
討論:藍原寛子(Japan Perspective News)
討論:阿部泰宏(フォーラム福島支配人)
司会:鈴木真奈美(明治大学大学院博士後期課程)