平和学インタビュー No.1

ロニー・アレキサンダー(Ronni Alexander)さん

「ポーポキ」といっしょに次の平和をさぐる



 

 

聞き手 : 中原澪佳

 

 

前田りさ 



ロニーさんは平和学とどのように出合いましたか?



 中学生の頃にベトナム戦争があって、学校をサボって反戦デモに行ったりしていました。ベトナム戦争をテレビで見たり、反戦運動をしたりした人のなかで、一番若い世代ではないかと思います。国が言っていることとテレビが伝えていることが違っていたので、「ちょっと待って、これ矛盾するわ」と思っていました。「なんで戦争に私のお兄ちゃんが行かなきゃあかんのかしら」というモヤモヤの中で感じていた矛盾です。でも、平和運動や平和という言葉は、世の中を変える力もないし、格好よくないという印象でした。


 大学の卒業の時に、とにかく今、自分のいるところと全く違うところに行ってみたい、外国に行ってみたいと思いました。たまたま日本で働くチャンスがあって、「100年いても覚えられないかもしれない」と日本語に不安を感じながら、広島に赴任しました。そこで原爆の実像に出合い、被爆者のお話も聞きました。でも、「広島だけじゃないよね?」、「大きな戦争だけじゃないよね?」、「侵略戦争はどうなったの?」、「原爆はいけないけど、原発はOK?」というような疑問を持ったのは後になってからのことです。そのような疑問を糸口にして、平和問題に興味を持ち始めました。




プロフィール: 神戸大学名誉教授。1956年アメリカ生まれ。国際関係論・平和研究のうち、太平洋島嶼国における「内発的安全」という研究テーマを中心に、グアムや沖縄などにおける核問題、軍事化、ジェンダーと平和・紛争、軍事基地と性暴力、セックスワークといった課題を取り上げる。神戸大学大学院国際研究科教授を務めていた2006年にポーポキ・ピース・プロジェクトを立ち上げた。飼っていたネコのポーポキを主人公にした自作バイリンガル絵本『ポーポキ、平和って、なに色?』などを活用しながら、国内外で平和のためのワークショップなどを開催。



 広島にいる間に、ミクロネシアに行く機会に恵まれて、初めてアメリカの核実験のことを知りました。知らなかった自分が嫌だったし、その実態が信じられなかったし、とにかく腹が立つし、理解できませんでした。「世界平和のために」というドワイト・D・アイゼンハワー大統領の有名な国連演説がありましたが、私が思ったのは、世界平和とか人類を救うために「島を返せ」と求めていた島の人の声に応答せずに「誰の平和か?」ということ。「戦争でもなんでもない平和の時に、なんで人を犠牲にして、核実験なんかするのか?」という怒りは、いまだに抱いています。


 その後、非核化を研究しようとマスターは国際基督教大学大学院に入りました。ドクターの上智大学大学院の指導教員は蝋山道雄(1928-2009)先生で、鶴見和子(1918-2006)先生にもお世話になりました。大学院生として初めて参加した日本平和学会には、当時、北沢洋子(1933-2015)さん、綿貫礼子(1928-2012)さん、内海愛子さんというような面白い女性たちがいて、バリバリ発言していました。外国人で若い私でも発言ができて、学問分野の窮屈な壁に束縛されないような雰囲気に魅了されました。もしかしたら、ここに私の居場所があるのかもしれないと思ったので、それが平和学との出合いだと思います。


ロニーさんにとっての平和学とは、何ですか?



 平和学は、いのちを包括的に、多面的に問う学問だと思います。キーワードとしてよく暴力や戦争が出てきますが、決してそれだけではありません。いのちに関する問題を扱うときには、必ず、コミュニケーションだとか、つながりだとかが問題になると思います。私の場合は、物語、安心といったものがキーワードになります。


 でも、初めから平和学の特長がわかっていたわけではありません。私の思っているもの、感じているものの解決策は、もしかしたら平和学にあるかもしれないという直感が、いろんなことを学ぶうちに確信になったと言えるように思います。


 今もそうですが、子どものときから境目に興味を持ってきました。ある時期は、雨が降っているのと降っていないのとを分ける線はどこかにあるけれど、どこにあるかはわからないということを面白がっていました。でも、学問とか世の中ではたいていの場合、ここに線があると言います。二項対立で考えるから、なおさらそうなるのだと思います。実際は、もっと複雑で、もっとぐちゃぐちゃなのに、1つの運動とか、1つの分野とか、1つの学問で果たして答えが出るものかという疑いの目をもってきました。そんな私にとって平和学の魅力は、答えを探るときにいろんなバリアを壊したり、いろんなものを組み合わせたりするところです。


 私の平和学は、動物やいろんなものを取り上げるという意味で、フェミニスト平和学と言ってもいいと思います。シンシアエンロー(Cynthia Enloe)に倣えば、パワーがどこからどう動いているか、それを見抜くのがフェミニズムです。ジェンダーは2つと言われますが、2つだけではない。そこには押したり押されたりのパワーが働いています。既存の前提、言説、ナラティヴを問い、さらに考えを広げて考え直していける空間を作ってくれるのが、フェミニズムの視点だと思います。


 さらに、私の平和学には実践が欠かせません。実践がなければ、研究や教育にはなるけれど平和にはならないと私は思います。私のライフワークは、平和学と平和運動と平和教育の3つです。それぞれをどう区別するかは非常に難しいと思います。


 「ポーポキ」をきっかけに生まれる表現とは、どのようなものなのでしょうか?



 話をいったん昔に戻しますが、私が神戸大学に赴任してすぐに、ゴミ箱に捨てられていた子猫を拾い、ポケットに入れて大学に行きました。それが、ポーポキです。ポーポキとは、ハワイ語でネコのことです。英語でも日本語でもないその響きが気に入りました。


 神戸大学では、当時、私は初めての外国人女性教員でしたが、ポーポキがいたおかげで共通の話題ができました。15年間生きて、ポーポキは亡くなりました。その直後、春一番が吹いたときにベランダで風の匂いを嗅ぐポーポキをふと思い出して、「ポーポキに登場してもらえば、自分の書きたい本が書けるかもしれない」と感じました。それが始まりで、自作の絵本の出版と活用を目的に、ポーポキ・ピース・プロジェクトを立ち上げました。


 「ポーポキ」は、想像力を今よりも豊かにするときのきっかけになると思っています。象徴でもあるし、動物なので人間の複雑な関係性に縛られることもありません。いわば何にでもなれる「ポーポキ」を使った活動を始めて17年になります。


 最近は、2つの研究領域を同時に扱っています。

 1つは、グアムの人たちにとっての米軍基地問題に関する研究です。普天間飛行場移設を巡る2006年頃からの日米関係のなかで、沖縄の辺野古に新しい基地を作るとか、普天間から海兵隊をグアムに移転させるとか、そういう流れがありました。でも、グアムに行ってみたらそこから見える景色が日本からとは全然違っていたので、興味を持ちました。


 もう1つは、私たちの感情や身体に関する研究です。「今」の平和ではなく、「次の」平和をイメージして、表現して、いっしょに創り出すためです。「今」の世界を見ればわかるように、これまでのイメージで創る平和は、本当の意味での平和ではないと私は考えます。でも、「次の」平和のイメージを持つことは容易ではありません。体験したことがなければ、イメージはなかなかできないし、イメージができなければ何かを創ることも非常に難しいからです。では、どうしたらいいのか。すぐに見つかる答えはありませんが、私たちと世界との関わりは、まず、触ったり、見たり、聞いたりという五感などの身体から始まります。そのことを手がかりに、想像力をもっと豊かにして、自分でできるものを探して、それが見つかったら実現していけば、「次の」平和につながっていくと考えています。直近の研究テーマは、災害とアートと物語をどうつなげるか。これがポーポキ・ピース・プロジェクトの「哲学」でもあります。


 東日本大震災の直後の3月末のことですが、大きな長い横断幕のような布の端っこに「ポーポキ」を大きく描いたものを持って避難所へ行きました。その布と100均のマーカーを並べて、「はいどうぞ、絵を描いて!」と呼びかけたら、避難されている方々から思いがけず大きな反応がありました。


  このお絵かきプロジェクトは外国でもやっていて、「平和」や「安心」を描いたり、「人にあげたい」「人と分けたい」というような思いを描いたり、絵を描いた後で「安心」について語り合ったりしてきました。その中でわかったことは、1つひとつの絵は物語なのだということです。そして、絵を描くことで表現するものと、口頭で表現するものは違うということです。口では言えないとか言わないことを、絵を介して表現できる場合もあります。


 絵に描かれた1つひとつの物語をどう分析して、どう理解して、どうして伝承していけばいいか、という研究をしています。これは、活動でもあり、出かけて行った場所の参加者とこれから先も共有していくものです。もちろん、その場にいる生き物でない限り、そこの当事者にはなれません。でも、私自身も「ポーポキ」もそうですが、連帯はできると思います。


 1つひとつの社会を変えることは、その社会の一員でない限りできないと思います。でも、支援はできるし、応援は希望を与えることができます。「ポーポキ」はそれをするんですよね。


(インタビュー:2022年4月27日 文責:前田りさ)