No.3

安斎育郎さん



安斎さんは平和学とどのように出会いましたか?



 私のもともとの専門は原子力工学、なかでも、放射線防護学でしたが、原発問題や核兵器廃絶の問題を通じて平和研究の分野にいざなわれていきました。1986年に東京大学から立命館大学に移籍し、立命館が世界初の大学立の平和博物館を開設する計画に関わり、私自身も国際関係学部で平和学を担当するようになって、平和学は私の専門の一つになりました。その後、国際平和博物館運動に深くかかわり、International Network of Museums for Peace(平和のための博物館国際ネットワーク)のジェネラル・コーディネータを務めるなど、平和博物館問題は私の平和研究の中心的なフィールドの一つになりました。また、2011年に「福島プロジェクト」を立ち上げて今日までに130回以上の福島への調査・相談・学習活動に取り組んでいますが、原子力を専門とする私にとって新たな平和学的実践の場になりました。




プロフィール:

原子力工学(とりわけ放射線防護学)を専門とする平和研究者。立命館大学国際平和ミュージアム終身名誉館長。「平和のための博物館国際ネットワーク」(INMP)名誉ジェネラル・コーディネータ。福島原発の被災地・楢葉町の宝鏡寺境内に故・早川篤雄住職と共同で平和博物館「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設、現在その館長。国境なき手品師団(Magicians Without Borders)名誉会員。


現在の安斎さんにとっての平和学とはなんでしょうか?また、ご自身の研究や実践と平和学とのつながりはどのようなものでしょうか?



 平和の概念が「戦争の対置概念」から「暴力の対置概念」として再定義され、この世の暴力に関わる問題全般をカバーすることは一人の平和研究者にとっては困難になりました。私の現在の主たる平和学的関心は、「人類史的原子力災害となった福島原発事故の問題」、および、「ウクライナ戦争の問題」です。前者については福島県楢葉町に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設して館長を務め、後者については『安斎育郎のウクライナ戦争論』を執筆し、現在普及中です。地元の京都府宇治市では、日本の植民地支配の時代に朝鮮から留学してきた尹東柱が同志社大学在学中に治安維持法違反に問われて懲役刑を受け、福岡刑務所で27歳で獄死した事実を知り、彼が宇治川のほとりで撮った一枚の写真を縁として「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」を仲間とともに12年余の取り組みで建立し、日本と韓国の橋渡しとなる活動に取り組んでいます。


平和学に興味がある人に伝えたいことなどがあったら教えてください。



 平和は「戦争のないこと」ではなく、人間能力の全面開花を阻む飢餓・貧困・社会的差別や偏見・人権抑圧・地球環境問題・医療や教育の遅れなどの社会的原因を克服することと考えられています。身の回りに潜む直接的・構造的・文化的暴力に目を向け、志を同じくする人々とその克服に何ができるかを考え、実践することはとても大切だと思います。Think Globally, Act Locally.(地球規模で考え、地域から行動を起こす)Think Locally, Act Globally.(地域から問題を掘り起こし、地球規模で行動する)に挑戦してみませんか?なお、ウクライナ問題についいては近著『安斎育郎のウクライナ戦争論』を参照して頂ければ幸いです。96頁、フルカラー、1冊250円+送料。お申し込みは、jsanzai[at]yahoo.co.jp ([at]は@に変更してください)へ。西欧メディアでは普段耳にしない情報満載のブックレットです。