No.5

藤田明史さん



中宮寺の弥勒菩薩

藤田さんは平和学とどのように出会いましたか?



 私は1970年前後の「大学紛争」から様々な面で大きな影響を受けました。学部時代のゼミの先生が戦後の日本における数理マルクス経済学のパイオニアの一人であり、各個人が人間として生きるうえで、抽象的な社会科学的認識がどこでどのように触れるかという問題を社会科学者として深く考えておられたので、私はそうした社会科学を自分のものとしたいと考えました。進路を決めるのに大いに迷った挙句、私は社会の実体を何も知らなかったから、生産現場を知りたいと考え、製鉄所での事務屋の仕事を選択しました。会社での仕事はきわめて過酷であったが、その間も自分なりに社会科学の勉強を続けました。長い時間が経過し、ついにそこから解放され、自由を得て(金銭からも自由になったが)、上述の如くガルトゥング平和学に遭遇し、心ゆくまで勉強できたことは私にとって本当に大きな喜びでありました。




プロフィール:

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。それを契機に私は、それまで22年間事務屋として勤務した鉄鋼企業(当時の社名は住友金属)を退社し、同年4月、核(核兵器と原子力発電)の問題を社会科学の立場から研究するため立命館大学国際関係研究科に社会人入学した。1997年から3年間、客員教授として来校していたノルウェー出身の平和学者ヨハン・ガルトゥングの研究助手を務めることになり、それを通じて初めて平和学に遭遇した。以後、ライフワークとして平和学の体系化に取り組んでいる。


現在の藤田さんにとっての平和学とはなんでしょうか?また、ご自身の研究や実践と平和学とのつながりはどのようなものでしょうか?



 私はこれまで自分の会社生活を意識的に切り捨てようと努めてきました。研究者としての新しい生活の形成にそれはむしろ阻害要因になると考えたからです。そうした判断が間違っていたとは思いません。しかし今は、少し考えが変わってきたようです。二つの生活の連続面を見ることによって、総体としての自分の経験がより豊かなものになると思い始めました。数年前に私は『ガルトゥング平和学の基礎』(法律文化社、2019年)という本を出版しました。今後の課題として、より拡大・深化した経験の上に立ち、「平和学の基礎」といった内容の本を書きたいと願っています。



平和学に興味がある人に伝えたいことなどがあったら教えてください。



 私は、平和学はひとつの有効な「ディシプリン」だと考えています。ディシプリンとは、その中で意味のある「学び」と「問い」が成立する、開かれた研究領域という意味での「学問」のことです。「ガルトゥング平和学」との遭遇を通じて私は平和学そのものを発見したように感じています。ガルトゥング平和学自体の本格的な研究もこれからです。皆さんには、そうした平和学を体系的に学ぶことによって、各人独自の平和思想を形成していただきたいと思っています。